2013年5月31日金曜日

生後29日目 妻をサポートする、とは

昨日体重計でざっくり体重を計測したらほぼ4kgだった。精度100gの家庭用の体重計で、抱えた時の重さから自分だけの重さを引くという原始的な方法なので、あくまで「ほぼ」。3箇月までは1箇月で1kgが標準的だそうで、息子は出生時が3250gだったから、良い感じの増え方なのだろう。

例によって妻はリビングに布団を敷いて息子と寝ている(注:不仲ではなく、妻が私を起こさないようにしている)ので、深夜の授乳は起きなかった。朝5時は、泣く前のフニャフニャ言い始めた時点で目が醒めた。


世の中、イケメン転じて「イクメン」という言葉が流行って数年経つ。俗語なので正確な定義は無いと思うが、育児に積極的な夫ということだろう。ところが、夫がイクメンであっても(あるいはイクメンであるが故に)、夫婦仲がうまくいかなかったり、中には離婚してしまう夫婦もあるとか。

「イクメン不仲」の原因で最も多いのは、夫が自分本位な育児をする場合らしい。「子育てはこうあるべき」と言って奥さんのやり方を否定したり、口出しし過ぎたり、自分のこだわりで何時間もかけて料理を作ったりするパターン。要するに奥さんを無視してやりすぎる。これではただの自己満足だ。

育児はどうしたって母親がメインになる。産むのは母親だし、母乳が出るのも母親。赤ちゃんだって母親に抱かれている時が最も落ち着く。赤ちゃんの変化に気づきやすいのも母親。そこで、何かと忙しい妻をサポートするというのが夫の姿勢であるべきだろう。

勘違いしやすいのだが、妻へのサポートとは、何も育児や家事を手伝うことだけではないと思う。例えば、子供をどちらかの実家に預けて、夫婦だけでカフェやレストランでデートできるように手配するとか、そういうことも含まれる。奥さんは普段「お母さん」と呼ばれていても、夫と二人の時間を持って、そんな時には「妻」や「恋人」でありたいと思うものだ。極論すれば、夫が奥さんの気持ちをケアさえできていれば、奥さんはいくらでも頑張れるのではないかと思う。奥さんの気持ちを推し量り、その結果としての行動がとれていればいいのだ。

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昨日の仕事は結構ハードで、定時で帰れるかどうか怪しかった(何とか帰れたが)。今日もその余波があるかもしれない。なんとか落ち着いた週末を過ごすために今日一日がんばろう。

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帰宅して妻に聞いてみたところ、初めてミルクを吐いたらしい。口蓋裂なので、吐くと鼻からもミルクが出る。普段からあまりゲップが上手でないのだが、今日もしっかりゲップが出ないまま寝て、1時間くらいして吐いてしまったようだ。その他には特に問題はなく、今も気持ちよさそうに眠っている。



2013年5月29日水曜日

生後27日目 父親または夫として

口唇口蓋裂の3箇月の娘さんを持つお父様に当ブログへのコメントを頂いた。3箇月といえば口唇裂の縫合手術の時期。何かとご苦労も多いと思う。

私の息子はまだ生後1箇月にもなっていない。大変なのはこれからなのだろうが、今までのところ、なぜかそれほど「しんどい」とか「辛い」とか感じないし、どちらかと言えば毎日起こることや息子の変化を楽しんでいる。妻も同様で、私が仕事中で居なくて息子が長時間泣きやまない時は困っているが、基本的には笑って過ごしている。

エコー検査で胎児が口唇口蓋裂と診断されたときには、さすがに息子が可哀想になったが、その他の異常が発見されなかったことの安心感のほうが大きかった。出産を経て、脳や心臓その他の臓器が全く正常に機能していることが嬉しかった。稽留流産(子宮内での胎児死亡)から始まる3年間の不妊治療や妻の悪阻を乗り越えて、生まれてきてくれたことだけで奇跡だと感じている。その上、脳も心臓も正常で手足も揃っている。ちょっと口に怪我しているだけだ。これ以上何を望むのか。

口唇口蓋裂を発見していただいてからは、出産後の忙しさを想定して定時帰りできるように仕事をする習慣をつけるようにした。私の仕事はシステムエンジニアで、少し前までは早朝から深夜、休日まで働いていて、定時帰りなど別世界の話だった。しかしそれでは疲れきってしまうし、妻の肉体的・精神的負担が大きすぎる。だから私がやらなくていい仕事はとことんやらないし、今日やらなくていい仕事は、可能な限り後回しにする(前倒しでやっても大概手戻りが発生する)。作業自動化など仕事の効率化も全て定時帰りのためだ。

出産後は会社に事情を説明して、恒常的に残業するような仕事を回さないようにお願いしている。そもそも、案件が発生したら8割くらいは私が工数見積をしているので、ヤバイ仕事は最初から取らないのだが。

定時退社したら最速で家に帰る。だいたい19時前には帰れてしまう。なるべく早く帰って妻を手伝い、彼女の話を聞く時間を作るのが重要だと思う(そこからブログネタを拾う、というのもある)。私は仕事で社会と関わっているが、彼女はほぼ自宅に居る。私と話をしていなければ、孤立感が増していくだろう。

お決まりだが、息子をお風呂に入れるのは私の役割だ。それから、テープの貼替えやホッツ床の脱着・洗浄も私がメインでやっている。私が家にいる時は授乳も出来るだけやる。時々娘も参加してくれる。そんな生活が楽しいと思う。

「そして父になる」という映画がカンヌ映画祭で賞をもらったそうだ。父親は子育てを通して本当の父親になり、我が子に育ててもらうのだ・・・そんなメッセージが込められているという。ならば私は、息子の口唇口蓋裂によって、より深く父親として育ててもらっているのだろう。


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19時の授乳は私が行なって、ほぼ100cc飲んでくれた。写真ではわかりづらいが、鼻ステントが押し上げている部分がやや赤くなっている。これについては説明を受けていた。本人が嫌がっていないので大丈夫だろう。

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風呂に入れた後で、ホッツ床を洗浄し、テープを全交換。その後22時の授乳も100cc全て飲んでくれた。最近体重を計れていないが、かなり重くなっているような気がする。

2013年5月28日火曜日

生後26日目 矯正歯科受診3回目/ここまでの経過

【妊娠19週5日】

エコーにて口唇口蓋裂と診断される。その他の異常所見(心疾患、後頭浮腫)なし。

【妊娠後期】

WEBサイト、書籍などで情報収集。身内や親しい友人へ胎児が口唇口蓋裂であることを伝える。

【予定日10日前】

助産師健診にて胎児心拍低下の所見。翌日入院して陣痛促進剤使用を決定。

【予定日9日前】

入院。陣痛促進剤投与するも、子宮口が開かず。夜間は投与中断。

【予定日8日前】

早朝より陣痛促進剤投与。午後、人工破水するも、出産に至らず。

【予定日7日前:誕生】

午前3時より陣痛促進剤投与、入院より54時間後の午後1時42分に出生。体重3250gの男児。アプガースコア9。



【生後2日目】

直接授乳を試すも、その時点では授乳できず。口唇口蓋裂用哺乳瓶により 授乳。



【生後4日目】

口腔内の潰瘍のため、チューブ授乳に切り替え。



【 生後5日目】

新生児黄疸。光線治療。



【生後13日目】

退院。その足で医大附属病院を受診。チューブから口唇口蓋裂用哺乳瓶に切り替え。



【生後14日目】

矯正歯科受診。ホッツ床型取り。テープによる矯正開始。



【生後21日目】

矯正歯科受診2回目。ホッツ床装着開始。



【生後26日目】

矯正歯科受診3回目。←今ココ。



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ということで、今日は矯正歯科受診3回目。午前半休を頂いて、妻と一緒に連れて行く。



2013年5月24日金曜日

生後22日目 眠らない/風疹予防接種

昨日の夕方自宅でホッツ床を付けてから、16時と19時のミルクは吐き出すこともなく授乳することができた。授乳後スヤスヤと寝ていたのでひと安心・・・と思ったら、22時のミルクから寝てくれない!1時のミルクで満足して眠ったと思ったのも10分ほど。以後細切れに寝ては泣くを繰り返し、やっと4時のミルクの後にまとめて眠ってくれた。

今までもたまにこういうことはあったのだが、ここまで激しいのにはホッツ床の装着が関係していると考えるのが妥当だろう。違和感がなくなるまで少しの辛抱。

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私は昨年、義弟の奥さんが妊娠した時に、万が一にも風疹に罹って感染させてはいけないと思い、風疹の予防接種を行った。その後妻の不妊治療が成功したので、風疹に関しては少なくとも自分が感染させてしまうという心配はしていなかった。

妻は以前予防接種を受けていたので今回は特に対策をしなかったが、出産後の血液検査では抗体価が低くなっているということで、改めて予防接種を行った。出産直後ならば妊娠の可能性はゼロだから、この時点での抗体価チェックと予防接種は良いタイミングだ。

風疹の予防接種と妊婦に関しては、このようなニュースがあった。

風疹予防接種後に妊娠判明しても「中絶の考慮は不要」 | あなたの健康百科 by メディカルトリビューン

妊娠中の風疹予防接種では先天性風疹症候群になる可能性が理論的にはあるが、今までの妊婦への誤接種の例3000件で1例も先天性風疹症候群になっていないということから、人工妊娠中絶を考慮する必要はないということである。だからと言って予防接種時に妊娠しているかどうかの確認が不要だと言っているわけではないので念のため。それにしても、誤接種がそれほどあるとは驚きだ。

先天性風疹症候群についてはTV・新聞で大きく取り上げられている。妊娠初期の女性が風疹に感染すると、胎児に先天性心疾患、難聴、白内障、網膜症、肝脾腫、血小板減少、糖尿病、発育遅滞、精神発達遅滞、小眼球・・・といった様々な障害が発生する可能性がある。

そのために妊娠の可能性がある女性(予防接種時に妊娠していないことを確認すること!)とその周囲の人には風疹の予防接種が欠かせない。 昨年から今年にかけての風疹の流行を見ると、まだまだ予防接種が広まっていないと感じる。独身男性であっても、職場や通勤経路で妊娠初期の女性の近くに居ることも多々あるので、ぜひ予防接種を受けてほしい。また、妻のように予防接種をしていても時間の経過とともに抗体価が下がることも多いので、前回の予防接種から年数が経過している場合も予防接種を考慮してもらいたいものだ。


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今朝は初めてホッツ床の洗浄。17時間着けていたら、それなりに汚れが付いていた。ぬるま湯で丁寧に洗って再装着して授乳。



テープは貼り直さなかったので、洗浄から授乳終了までそれほど時間はかからなかった。



2013年5月23日木曜日

生後21日目 矯正歯科受診2回目 ホッツ床装着

一週間前は退院2日目で、授乳もまだ不安が残る状態だった。矯正歯科でホッツ床の型取りとテープによる固定をして、「テープはこのままで、次は一週間後」と言われた時には、潰瘍が心配だったりして、果たして無事にその日が迎えられるのか内心は不安だった。

この一週間、頬のシートを貼りかえたのは1回。テープは1日に1回~2回交換した。今日の午後に2回目の矯正歯科受診をして、状態を見ていただくとともに、作成されたホッツ床の合わせを行う。



受診時間は先週と同じで要領もだいたいわかったので、今回は少し心に余裕を持って受診できそうだ。

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2回目の矯正歯科受診から帰ってきたところだ。帰宅時間に合わせて生保会社の方に来ていただいて、学資保険の契約も行った。

この写真はすでにホッツ床を装着した状態である。画像をクリックして拡大していただくとわかるが、ボタンと呼ばれる突起がでていて、それを左右斜め上から軽く引っ張るようにして落ちるのを防止している。

こちらの写真はもう少し分かりやすいかもしれない。装着時は舌の上に横にして入れるようにし、口の中で90度回転させる。そして上唇を巻き込んでいないかチェックするように指導を受けた。

頬のシートはやや上、目の下辺りに位置を変えられた。テープについては今までの横に渡す1枚を最初に貼り、その上から左右のテープを貼っている。左右のテープの先にはボタンに掛ける小さな輪ゴム(素材は違うのかも)を付ける。この輪ゴムの替えもかなりたくさん頂いた。

ホッツ床についての説明書も頂いた。概要は以下のとおり。

  1. ホッツ床は哺乳の機能を高め、上顎部の発育を促すための装置である。
  2. 初めての装着から2~3日は外れやすい。
  3. 定期的な受診が必要。
  4. 哺乳瓶の乳首は穴の小さなものを使い、吸啜力を高めるようにする。
  5. 清掃は1日1回、歯ブラシで行う。哺乳後は取り外さないこと。
  6. ミルクを戻しそうになったときは、慌てて外そうとせず、まずは横向きやうつ伏せにして吐き出させる。
次回は五日後、鼻の矯正具の装着の予定だ。

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矯正歯科の待合で、隣の隣の県から来られているご夫婦にお話を伺うことができた。高速だけでも2時間かかるような所から来られていると聞いて、思わず「○○(地方名)にはこういったところは無いのですか・・・」と聞き返してしまった。それが無いのだと伺って、つくづく私たちは恵まれていると思うと同時に、せめて県に1つは口唇口蓋裂のチーム医療ができる拠点が必要なのではないかと感じた。

そのご夫婦と9ヶ月のお子さんが来院されたのは、ホッツ床を踏んで割ってしまったから、とのことだった。緊急のことだから、旦那様がお休みをとるのも大変だったと思う。私達などは急げば30分ほどで通院できる場所に住んでいる。医大附属病院も同じような距離にある。こんなに幸運なことがあるがあるだろうか。きっちりと息子の治療を進めて行かなければならない。

2013年5月22日水曜日

生後20日目 学資保険


産後すぐに赤ちゃんの治療が必要な状態だと、なかなか高校や大学進学のことまで気が回らないものだ。しかし私たちは新生児の親としては高齢であるため、息子の面倒をそれほど長くみてやれるわけではない。せいぜい彼が20歳くらいまでだろう。それまでに自分の力で生きていけるようにしてやるのが私達の責任だ。

私達が暮らす市では、口唇口蓋裂のだいたいの治療が終わる頃までの子どもの医療費は無料化されているから、治療費は大きな負担にはならない。娘は高校3年生で、今のところ京都の国立大学を志望している。今の住まいからは通えないので、下宿とか寮に入ることになり、ここから4~5年かなりの額が必要になる。第1種奨学金がもらえればだいぶ助かるが、それでも楽ではないだろう。

こういう状況なので、目先のことだけを追っていては、いざというときに先立つモノがないということになってしまう。そこで生命保険会社の方にお願いして、学資保険の資料を作ってもらった。



これは毎月3万くらいの例で、誕生から掛け始めると大学入学時に250万円、その後4年間にわたって毎年125万円が返戻金(へんれいきん) として戻ってくる。返戻金を掛け金で割った返戻率は約112%。利回りだけで言えばもっと有利な商品もあるが、学資保険のいいところは、契約者が死亡した場合は以後の掛け金が不要なこと。もちろん妻と娘と息子を残して死ぬつもりは全くないが、リスクには備えておかなければならない。これと生命保険で、少なくとも息子が大人になるまでは、金銭的には大丈夫なはずだ。

重要なことは、こういったリスクファイナンスは父親としての義務の一部に過ぎないということだ。娘の進学をサポートしつつ、妻と協力して息子の治療を進めるのが目下の課題。まあ、いろいろ考えつつ、少しは余裕を持ちながらやっていく。



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自分の指で顔をひっかいて、泣いてしまうことがしばしばあるので、妻が生後2回めの爪切り。テープの貼替えは朝晩の2回ペースだ。次の矯正歯科受診は明後日。頬に貼っているシートをもう一度貼り替える必要があるかもしれない。

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日中なかなか息子が泣きやまなかったので、妻はまた私の実家に息子を連れて行ってきたようだ。私の実家は牧場だったので、どんなに泣こうが隣家に迷惑になることはない。ちょうど私の両親(それから巨大ネコ)が居て、授乳は母がしてくれた。



明日は午後半休を取得して矯正歯科へ連れて行く。ホッツ床を合わせる予定だ。


2013年5月21日火曜日

生後19日目 ダウン症出生前診断と人工妊娠中絶

3年に渡る不妊治療の末やっと息子を授かり、妊娠初期の悪阻の苦しみはあっても誕生を楽しみにしていた頃、ちょうど新しいダウン症の出生前診断法(NIPT)が今後国内でも実施可能になる、というニュースが流れた。

私達も高齢出産においてダウン症のリスクが高いことは知っていたので、どうしても気になるニュースだった。NIPTを使わない場合は羊水検査を行うことで確定診断ができるが、羊水検査には1/200~1/300の確率で流産の恐れがあり(実際、妻は産科外来看護師時代にそういう例を目にしている)、稀にではあるが母体にDIC(播種性血管内凝固症候群)を引き起こすこともある。NIPTならば確定診断はできないものの、高確率の診断が可能で、それが妊婦からの採血だけで済むためリスクがほとんどゼロとなる。

そんなニュースを見て妻と話した結果、羊水検査は行わないことにした(NIPTはまだ可能な時期ではなかった)。理由は2つ。羊水検査はリスクが比較的高い割に診断できるのは21トリソミーほか数種類の先天異常だけであること。もう一つは仮にダウン症であったとしても人口妊娠中絶などするつもりがないことだった。

その後、エコーによるスクリーニングで医師よりダウン症の恐れはほとんど無いと伝えられた。

もし2013年4月以後のNIPTが選択できる状況だったら、私達はどうしていただろうか。

19周5日でエコーにより口唇口蓋裂 を発見して頂き、準備がしっかりできた体験をした今の心境からすると、NIPTをお願いしてもいいのかなと思う。NIPTが陽性ならば羊水検査で確定診断になるが、そこで陽性と確定しても人工妊娠中絶は選択していなかっただろう。私は別にカトリック教徒ではないが、着床して心拍まで確認できた子は、すでに人格があるような気がするのだ。これは私達の考えであって、夫婦それぞれに色々な考え方があるだろう。

今日、こんなニュースがあった。

胎児にダウン症を「異常なし」出生前診断、逆に伝える 両親提訴 - MSN産経ニュース

羊水検査を行なってダウン症と確定したのに、陰性だと伝えてしまったらしい。生まれた子はダウン症の合併症で3ヶ月半ほどで亡くなったとのこと。

診断結果を逆に伝えたクリニック側のミスは責められるべきだろう。診断結果を読むスキルが無いことを晒してしまったわけだ。これに対して両親が慰謝料を求めているのは、「妊娠を継続するか、人工妊娠中絶をするか選択の機会を奪われた」 という点。少なくともこの両親は、ダウン症と診断されれば人工妊娠中絶を行う可能性があったわけだ。出生前診断でダウン症と診断され、人工妊娠中絶を選択する親は多いし、そのことを私が責められるものでもない。だが私は、ダウン症の子供は絶対に幸せになれないと、親が決めつけてしまうこともできないと思う。 以下のサイトをはじめ、様々な意見を聞いて判断してほしい。

公益財団法人 日本ダウン症協会|ダウン症を授かったご家族へ



それから、ダウン症の画期的な治療薬開発の可能性も出てきている。

ダウン症が“治せる病気”に? 発症メカニズムを解明 | あなたの健康百科 by メディカルトリビューン

遺伝子そのものを治すことはできなくても、低下しているSNX27遺伝子の発現を高めることはできる。動物実験では神経の働きをほぼ正常どおりに戻すことに成功しているそうだ。もちろん人間への適用は先の話ではあるが、希望は少なくないのだ。

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 昨晩のミルクはお姉ちゃんが頑張ってくれた。今は育児が物珍しい感じだろうか。受験生なので、気分転換くらいのつもりでやってくれればいいと思う。

2013年5月20日月曜日

生後18日目 つわり止めの薬?

妻が激しい悪阻だったことは何回か書いたが、悪阻の吐き気を緩和しつつ胎児に影響が無いと思われる薬があるらしい。

吐き気止めは“つわり止め”に使える? 安全を検討 | あなたの健康百科 by メディカルトリビューン

オンダンセトロン(商品名:ゾフラン)という薬で、デンマークでの調査の結果、早産・流産・低体重・先天性異常などのリスク上昇が見られなかったそうだ。

妻は悪阻で2箇月入院したが、もっと深刻な妊婦さんは更に長期間入院して、退院前には歩行リハビリが必要になる方もおられる。不妊に悩む方には贅沢に聞こえるかもしれないが、ご飯の匂いはおろか、太陽光やテレビの音すら刺激になって吐いてしまう状況が延々と続くと、もう二度と妊娠したくないと思うものだ。

妻が悪阻で入院している時期、毎晩病院に通ったが、いつも気丈な妻に「辛いよぅ。。。」と泣かれたことは1度や2度ではなかった。本当に無理をさせて申し訳ないと思ったが、私には悪阻の症状を軽くさせることはできない。ただ黙って手を握ってやるくらいしかできなかった。

悪阻の妊婦さんは激しい吐き気と、赤ちゃんのために栄養を摂らなければというプレッシャーの中で毎日大変な苦しみを味わう。ゾフランで安全に吐き気を軽減することができるなら、症状のひどい時に最低限服用するといった使い方で随分妊婦さんを楽にすることができるのではないだろうか。

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息子は昨日買った「おしゃぶり」を大変気に入っている様子。長時間吸っているので、それほど口の中に負担はないということだろうか。このあと、出社前にテープを貼り直してやる。昨日も一度貼り直した。これは平日朝の習慣になりそうだ。

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帰宅して妻に聞いてみると、お昼に娘と協力してテープを貼り直してくれたらしい。私の朝の貼り方が下手くそだったかもしれない。

今日の日中はミルクを飲んだらすぐに眠ってくれて、とても楽だったようだ。






その日中、妻の友達がお祝いにお花を持ってきてくれた。さらにベビー服にケーキまで。



そろそろ出産祝いのお返しの手配を考えないとなぁ。

2013年5月19日日曜日

生後17日目 メッセージ:母から妻へ

私の住む地域では、内孫には出産祝いをしないのが常識だったが、核家族化が進み祖父母と同居することが少なくなって、少し包んだりすることもあるようだ。妻の体調もだいぶ良くなってきて、昨日はじめて息子を連れて三人で実家へ行ったのだが、私の母も息子の病気のことを心配したのか、何かと要るのだからと出産祝いを妻に手渡した。妻はひたすら恐縮していたが、いつになく譲らない母に押し切られて受け取った。

「巨大ネコの新入りチェックから孫を守る祖母」


私の両親は今は年金暮らし。自営業だったから国民年金で、生活に余裕があるわけではない。本来なら私がいくらか助けなくてはならないのに、実家に行けば毎回食品や料理を持たせてくれる。息子の誕生前、妻は時間があって体調が良ければ、平日に一人でも私の実家に行って母と話をしていたようだ。妻は自分の母親とあまり話したがらない分、私の母の心配をしているようなところがある。

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私は母の34歳の時の子で、42年も前だから当時としては高齢出産の部類に入っていたかもしれない。父と一緒に牧場の仕事に汗を流し、私を妊娠中は悪阻もありながら臨月まで乳牛の世話をしていたという。

乳牛の牧場というのは過酷な仕事だ。今も全自動搾乳ロボットなんて導入しているのは日本国内でも片手で数えられるくらい。早朝から深夜まで肉体労働が続き、基本的に年中無休だ。ヘルパー制度を使えば冠婚葬祭で1~2日くらいは休めるが、私の両親はほとんど利用していなかった。

深夜午前0時から搾乳準備が始まったとすると、当時の我が家の規模で準備・搾乳・給餌・掃除が全て終わるのは午前3時。その上に子牛への哺乳などもある。まとまった睡眠時間はとれず、2~3時間程度を数回に分けて眠るのが普通。

そんな生活だったから、私と姉には家族でレジャーを楽しんだという記憶がほとんど無い。だが一度だけ、母に隣県の観光地の水族館へ日帰りで連れて行ってもらったのを覚えている。三人でイルカのショーを見たり、アイスクリームを買ってもらったり・・・。世の中にこんな楽しいことがあるのかと思ったが、その日帰り旅行の時間を作るために両親が短い睡眠時間をさらに削っていたことを知っていたので、もう一度とせがむようなことはできなかった。

私の祖母が認知症になると、介護のため母の時間は更に削られることになった。どうして他人の親にあれほど献身的になれたのか母に聞いてみたいと思うが、たぶん「それが当たり前だから」と返されるだろう。

その母が一度だけ、姉に対して烈火のように怒ったことがある。祖母の認知症が進み、小学生の姉に何か嫌なことを言ったのだと思うが、怒った姉は座っていた祖母の背中を泣きながらを軽く蹴ってしまった。この時の母の叱り様はそれまで見たこともないほど厳しいもので、母が姉を叩いたのはあれが最初で最後だったと思う。

その後祖母が徘徊を始め、冬の深夜に失踪して緊急捜索が行われるに至り、ついに老人ホームに入ることになったが、入所後毎日のようにホームに通い、祖母を最期まで看病したのも母である。

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43年前、母が私の妊娠を祖母に伝えた時、当時の生活の苦しさから「二人目なんかいらんのに」と言われたらしい。そのことを母がポツリと呟いたのは、私が妻と結婚することを伝えて暫くしてからだった。その時の母の気持ちはどんなだっただろうか。今、祖母に対してどんな想いがあるのだろうか。

私と妻が結婚するとき、母が妻へ望んだことは、私の子供を産んでほしいということだけだった。ただ、母は妻にそう言ってしまったことで、妻にプレッシャーを与えてしまったと悔やんでいたかもしれない。 その後妻が妊娠を報告するまで、母はそのことを一切話題にしなかったのだ。

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母から妻へのお祝いには短い手紙が入っていた。

幸せは、今ここにあり、苦は未来の宝。
明日を信じて、一女・一男に恵まれた。
”決して、甘やかしては、ならない”
そばにいて、やさしく、心のつえに、なってほしい

私の願いは、これだけ
一日も早く 元気になってね

帰宅して手紙を読んだ妻は、「ありがとう・・・」の後に言葉を続けられないまま泣いていた。

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今日は出産から入院していた病院の看護師さんに、医大附属病院や矯正歯科での治療内容や今後の予定をフィードバックした。せっかく病院ヘ行ったので、正確に体重を計ってもらったところ3560gだった。1日あたり50gのペースで、これはちょっと増えすぎに近い。「飲みやすく、飲みやすく」と哺乳に注意を払った結果、どうやら十分以上に与えてしまったらしい。口の中の潰瘍も見てもらったが、状態は良くなっているとのこと。






ミルクをたくさん飲んでくれるのはとても嬉しいのだが、しばらくは少し間隔をあけて回数を1回減らしたほうがいいだろう。そこで入院時に付けていたような哺乳記録を付けて管理するようにした。ミルクの間隔が開くとお腹が減って泣くことが増える。潰瘍を気遣っておしゃぶりを与えていなかったのだが、看護師さんの意見では使って構わないということだったので、帰り道で購入して早速使っているところだ。


2013年5月18日土曜日

生後16日目 胎児診断結果の伝え方(2)

午前2時半。80ccの授乳が終わったところだ。今回はえらいスピードで飲んだなぁ。プラスチック製の哺乳瓶を時々指でつまむように押すことで吸啜(きゅうてつ)を補助してやるようにしている。あまり早すぎるとむせてしまうので気をつける。



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「胎児診断結果の伝え方」の続き。

いよいよ身内に説明する時には、冷静に順序立てて、しかしあまり深刻になり過ぎないように。そして旦那さんの親族には旦那さんが説明するのが基本。 奥さん任せにしてはダメだ。奥さんから「お義父さん・お義母さんに伝えて・・・」と頼まれる前に「今度親父・御袋に話をするよ」と言ってほしい。

私の場合、私の両親に伝える時にはエコーの画像のプリントを見せながら、症状と必要な手術について簡単に説明し、最後に「その他には問題ないから、あまり心配する必要はないよ」と軽い調子で付け加えた。ここらへんは臨機応変に、ある程度演技も必要である。

問 題はちょっと親子関係がこじれているような場合だ。妻と彼女の母親の現在の関係は、こじれているとまでは言わないがちょっと微妙で、妻は普段からあまり話 したがらない。こんな時は、私がそうしたように、直接会うときに旦那さんがついて行ってあげてほしい。奥さんが頑張って一言切り出したあとは、旦那さんが しっかりフォローすること。明るくどっしりと構えて、「私もついてますし大丈夫です!」くらいのことは言ってほしい。

と にかく、旦那さんはこの時期の奥さんを全力で庇うことだ。口唇口蓋裂に限って言えば原因は今のところ判明していない。多くの人が遺伝因子を持っていて、そ の他の外的要因が複雑に絡み合って「たまたま」発現しただけのこと。奥さんには何の非もないのだが、それが理解できない人も世の中にはいる。そんな人の間 違った言動から奥さんと赤ちゃんを守るのが旦那さんの務めである。

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息子の頬に貼っているシートがちょっとめくれてきた。次の受診までには一度くらい貼り直す必要がありそうだ。



2013年5月17日金曜日

生後15日目 初めて病院と関係ない日/胎児診断結果の伝え方(1)

午前5時に起きてすぐ授乳。昨晩は風呂に入れたらすぐに気持ちよく寝てくれた。夜中は妻が授乳してくれたらしい。






鼻の下を左右にテーピングしていることで口が閉じやすくなり、乾燥を防止できているようだ。気のせいか、呼吸音が静かになったと思う。

今日は特に受診もなく、生まれて初めて病院と関係のない日だ。今日の息子に関するトピックは少ないと思うので、今日の記事は妻の妊娠中を振り返って書いてみたいと思う。

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めでたく妊娠が分かると、最初は一ヶ月に一度くらいの頻度で妊婦検診に行くと思う。妊婦の旦那様に強くおすすめしたいことは、仕事が忙しくてもなるべく妊婦検診に付き添ってあげてほしいということだ。

妻の場合は高齢出産のうえに悪阻が尋常ではなかったこともあり、ほぼ毎回付き添った。でも付き添っていた一番の理由は、エコーでリアルタイムに我が子の姿を見てみたいということ。心拍が確認され、性別が分かり、順調に大きくなっていくのを二人で見て喜んでいた。

医師から口唇口蓋裂の診断を受けた時も、やはり二人で説明を聞いた。もし妻一人で聞いていたら、彼女は私に自分で告げなければならず、余計なプレッシャーを感じていただろう。

その後の妊婦検診にも二人で行き、母子手帳についていた超音波診断無料券を使い切った後は自費負担で毎回エコーを見せていただいた。担当の先生は通常の身体計測や心臓・血流のチェックの他に、口の周りを入念に確認してくださった。重要なのは、それをリアルタイムで、夫婦で共有すること。

奥さんに少しでも安心して過ごしてもらうためにも、旦那さん、妊婦検診について行ってあげてください。

さて、妊婦検診で何らかの問題が発見された場合、それをどのように身内に伝えるか、悩まれる方もあるだろう。

その前に重要なのは、問題・障害について、夫婦でしっかり正確な知識を身につけておくことだ。それなしには身内を安心させることはできない。例えば娘(息子)が胎児について病名だけを告げてきて、予想される症状や治療方法についてきちんと説明できないとしたら不安になるばかりで、もしかしたら感情的な言葉が出てしまうかもしれない。夫婦が正確な知識を身に付ける、その時間を確保するためにも、できるだけ早い時期での正確な診断が重要になる。

知識というのは、他人にうまく伝えることができて初めて自分の身についたと言うことができる。身内への説明のためにしっかり勉強することは、その後の治療にも大きく役立つだろう。

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長くなるので、「胎児診断結果の伝え方」の続きは改めて投稿する。

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帰宅してみると、昨日は抱っこが怖いと言っていた娘が、抱っこしてあやしてくれていた。聞けば今日は定期考査の日で昼までだったそうで、帰ってから何度も抱っこや調乳をしてくれたそうだ。娘も成長しているようで、嬉しいものだ。お昼にテープが取れてしまい、妻と娘の二人がかりで新しいテープを貼ったとも聞いた。

哺乳はP型乳首とプラスチック瓶の組み合わせで、吸う動作にあわせて瓶を押さえてミルクが出るようにしてみた。この方法なら負担を少なくできるのではないだろうか。

2013年5月16日木曜日

生後14日目 矯正歯科受診

人生で初めて、我が子を挟んで川の字で寝た。目が醒めた時に妻にそう言ってみたら、「うん。ほんとに夢のようだわ」と返ってきた。妻は前回の出産時には前夫との離婚が決まっていたので、彼女にとっても初めてだ。ベッドは普通のダブルサイズなのであまり広いとは言えないけれど、何とか眠れるものだ。やはり息子の様子が気になって、細切れの睡眠になってしまった。



今日の予定は、午後2時に矯正歯科の受診だ。また午後半休を取る必要がある。 昨日早朝にリリースした更新モジュール(とあるWEB営業支援システムの本体プログラムとバッチプログラムの改訂)の動作も気になるので、昨日ほどではないが少し早めに出勤して確認しておこう。

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12時半に妻が息子を連れて会社まで来てくれたので、そこから5kmほど先の矯正歯科に連れて行った。今回実施したのはホッツ床の型取りと、テーピングと言ったらいいのか、写真を見ていただきたい。






鼻の下の部分を押し下げ、上顎を左右から寄せるために、このようにテープを用いるのだそうだ。早い時期にこうすることで、赤ちゃんの顎の形を正しい形に導いていく。


これに先立ってホッツ床の型取りを行ったのだが、合成樹脂と思われる材料を口の中に入れて上に押し当てること2分間。どのような感覚なのか知る由もないが・・・痛いのか吐きそうなのか、当然大泣きする。最初は私のすぐ横で見ていた妻は、そのうち自分の顔を手で覆って私の後ろに隠れてしまった。「私がちゃんと産んであげてたら・・・みたいに思えちゃって、ちょっと泣いちゃった」と帰りの車内でつぶやいていた。口唇口蓋裂の原因は分かっていないわけだし、妻は妊娠中の激しい悪阻の吐き気の中、サプリメントや点滴までして必死で栄養を取ろうと最善を尽くしていた。口唇口蓋裂の遺伝因子は多くの人が持っていて、その他の外的要因が複雑にからみ合って、ほとんど偶然に発現したに過ぎない。それは妻も知識としてはわかっているのだが、感情がついてこないのだろう。

次の受診は1週間後の同じ時間。順調ならホッツ床の装着になる。





「高校生のお姉ちゃん、おっかなびっくり弟を触る」。まだ抱っこは怖いそうな。

・・・

授乳については、潰瘍の状態を確認しながらピジョンP型で行なっている。細長いタイプの乳首はミルクが出すぎて、まだうまく飲ませることができていない。潰瘍が悪化した場合のこともあるので、また練習しておかなくては。

2013年5月15日水曜日

生後13日目 医大附属病院受診・退院

いよいよ医大附属病院受診の日だ。現在午前2時50分。私はどうしても外せない作業があり、午前4時出社の時差出勤をした上で、午後半休扱いにして病院に向かう。妻は後から現在の病院に行って息子の退院手続きを行い、息子を連れて医大附属病院に行き、私と落ち合う予定だ。

・・・

午後5時。病院から帰ってきたところ。遅くまでまでかかるかと思っていたけれど、意外と明るいうちに帰ってこれた。とは言うものの、大きな病院なので待ち時間がとにかく長い。10時半の予約だったが、形成外科の診察室に入れたのはお昼を回っていた。

診察を1時間半ほど待っているあいだ、やたら大きな声で受付に難癖をつける爺さんがいて、せっかく寝ていた息子が起きてしまった。待合にはもたくさん小さい子がいてビックリしていたし、さすがに頭にきたので、待合にいたもう一人の男性と協力して追い出してしまった。まあ殴られて怪我してもそこは病院だ。

・・・そんなくだらないことはともかく・・・

形成外科の診察では、口唇口蓋裂のひと通りの説明をしていただいた。最初の口唇裂の手術は、やはり3箇月くらいが目安とのこと。ホッツ床については、この病院では昨年までおられた矯正歯科の先生が他所に移られており、その矯正歯科への紹介という形で、そちらで型取りを行うことになった。ちょうどその矯正歯科の先生が同室されていて、左右の耳の位置や手足の指の状態まで細かく診てもらえた。診察の合間にその矯正歯科に予約を取り、明日伺うことにした。仕事との兼ね合いがちょっと厳しい部分もあるが、できるだけ早く治療を開始したほうが良いということだったので、最悪休日出勤でカバーして調整する。

形成外科の次は耳鼻科で、ここは簡単なチェックのみ。その次はリハビリテーション科。構音障害などについて説明を受けた。耳鼻科もリハビリテーション科も、1箇月ごとの形成外科の受診に合わせて診察を受ける。

リハビリテーション科の待合では、隣県から来られたという、口唇裂手術後間もない男の子を連れたお母さんとおばあちゃんにお話を伺うことができた。手術時の体重は6kgに少し足りなかったが、問題なかったとのこと。お顔を見せていただいたが、正直どこが手術痕か、一見しただけではわからない。お母さんに「うちの子も、そのお子さんと同じでしたよ」と伺って、かなり安心することができた。妻も、今日の受診で最も印象深かったのは、その子とお母さんに会えたことだと言っている。面識のない方に声をかけていいものか少し遠慮があったが、話しかけて良かったと思っている。



そして息子は、初の我が家だ。これからは4人の生活が始まる。他にもいろいろ書きたいことがあるが、さすがに疲れたので明日以後の記事で。

2013年5月13日月曜日

生後11日目 凍結受精卵をどうするか

昨晩妻と話したのは、不妊治療から心拍が確認できて、悪阻が激しくなってきた頃のこと。それから、まだ凍結保存してある残り2つの受精卵のこと。

昨年の夏の不妊治療の時の受精卵は合計5個。そのうち3個の分割状態が良く、1個を選んで戻したの去年の8月だった。それまでも何度も戻しては着床しなかったので、着床しなかった時に備えて残り2個は凍結保存されたままとなった。ほぼ妊娠全期間に渡る激しい悪阻と、足掛け3日間・54時間の陣痛を乗り越えて息子が生まれた今、保存されている受精卵をどうするかそろそろ決めるべき時期だ。

受精卵の画像やスケッチを見なおしながら、あの時の受精卵のうちの一つが、こうして息子になったのだと思うと、廃棄してしまうことはやはり心理的抵抗が大きい。しかし、妻の体力や年齢を思えば着床確率は低いし、着床したとして、もう一度あの壮絶な状況を体験させたいとは思わない。

一方、考えたくないことだが、息子に万が一のことがあったら?ということも頭をよぎる。

結局、来月初めに不妊治療の先生にお会いするときに、保存終了をお願いすることにした。それがケジメであると思うし、息子を育てあげるという覚悟だ。もし研究目的で使用されることがあるなら、同意する。不妊・あるいは他の疾患の研究の一助となるならば、それも供養の一つになるはずだ。私たちは、息子の誕生日と同じように、受精卵の保存が終了した日を覚えていたいと思う。

・・・

会社へ家族異動届を提出する際に必要な住民票を、妻が市役所で取得して車で会社まで持ってきてくれた。異動届を出した上で、被保険者有資格者証かそれに準ずる書類をもらっておけば、保険証ができるまでの期間、代わりに使用することができる。これは明日作ってくれるから、明後日の医大附属病院での診察に使えるだろう。ちょっとギリギリだったが。

娘の奨学金申請のために、所得証明の取得も必要なのだか、今年度分は明日からの交付なので、また明日も妻に市役所通いをしてもらわなくてはならない。幸い体調はかなり良いらしいのであまり心配はしていないが、まだ産後10日。無理はさせられない。

・・・






今日は私と妻で、シリンジにそれぞれ1本ずつチューブ経由で授乳した。合わせて65cc。注入に合わせて、保湿剤のジェルを付けた小指を口に入れてやるようにした。せめて何か吸ってるような感じにしてみたかったのだが、当の本人はほとんど寝ていたようだ。今日の体重は3283g。順調に増えて出生時体重を超えた。

現在の心配事といえば明後日からの授乳だが、医大附属病院で診察してもらう前にあれこれ考えても仕方がない。今できることをやるだけだ。


2013年5月12日日曜日

生後10日目 私の母と、初対面




妻は退院してから、必ず5時前に起きている。乳房が張るせいもあって、3時半に起きることもあるそうだ。無理してないかと聞いてみたが、夕方には少し眠くなることもあるそうだが、体調は良いらしい。退院が延期になった時は、ちょっと泣きそうになったと言ってたが 、基本的には明るく過ごしている。今朝は頂きものの赤ちゃん服をずっと分類していて、可愛いものを見つけては「うゎー、うれしー」と歓声をあげている。


口唇口蓋裂にかぎらず、生まれた子どもになんらかの障害があった場合、お母さんのショックは大きいと思う。そこで重要なのが、妊娠中のできるだけ早い時期での正確な診断だ。それによって両親の心の準備、出産時のサポート、その後の地域連携などがスムーズに行える。

妻がかかった産科医師は、県内でも随一の技術と見識を持ったベテランの先生。数百キロの距離や3~4時間にも及ぶ待ち時間をものともせず、他県からもその先生の診断を受けるために来られる妊婦さんも多数おられるほどだ。妻の場合は、産科外来看護師時代に長くその先生のもとで働いていた(スタッフには滅法厳しかったそうだ)ということもあり、高齢出産でもあるし、万全を期してその先生にかからせていただいた。そういった情報に乏しい方、特に高齢出産の方は、妊娠が判明したらできるだけ多くの正確な情報を収集して、信頼できる先生にかかっていただきたい。

息子の口唇口蓋裂を先生に教えて頂いたのは19週5日での4Dエコーを見ながらのこと。先生の言い方から、その前のエコーでも疑いは持たれていたようだ。ダウン症に関してはそれよりかなり前の段階で「おそらく問題ない」と告げられていた(私は不勉強なことに、エコーでダウン症のスクリーニングができるという知識がなかった)。

出産まで5箇月あることで、心の準備が十分にできる時間があり、妻の気持ちが落ち着いていたことが何より大きい 。私が夫として心がけていたのは、「大丈夫。全然問題ない」と大きく構えること。ただでさえ妊婦は精神的不安定になりがちだし、まして妻は2箇月入院するほどの悪阻。胎児の病気の不安まで抱えていては、出産まで耐えられなかったのではないだろうか。

そういった心の余裕からか、誕生から10日目の今、妻は息子の顔を私以外の人間に見られることへの抵抗が少なくなってきたようだ。だが心ない言葉を吐きそうな身なり(必ずしもそうとは限らないが)の若い男女には、絶対に見せないと言っている。人を外見だけで判断するのは良くないが、しかし内面は必ず外見に出てくる。だから誤解されやすい身なりをしてはならない-というのが、私達夫婦の考え方だ。

・・・

今日は正午に母を迎えに実家に行って、病院に連れて行って初めて会ってもらった。晩婚で私の子の顔を見るのを随分待たせてしまった身としては、親孝行のスタートラインには立てたのかなと思う。


母はさすがに手慣れた様子で息子を抱いて、初対面の孫に色々と話しかけてくれた。もちろん母にも事前に口唇口蓋裂のことについて十分説明できていたので、母としても落ち着いて対応できたのだろう。今日は息子も起きている時間がとりわけ長く、母にも喜んでもらえた。

チューブによる哺乳はコンスタントに3時間毎・60ccで、体重も出生時に戻った。これは一般的な推移だから、哺乳のハンデを考えれば息子は人一倍頑張っていることになる。父ちゃんも負けずにがんばるからな。

昨日書いたように、今後のの予定は明日・明後日と入院し、明々後日の朝に退院。その足で医大附属病院ヘ向かう。その日私はどうしても外せない仕事があって、未明に出勤して3時間ほど作業し、午後半休扱いにしてもらって、何とか医大付属病院での初診に間に合わせるつもりだ。

2013年5月10日金曜日

生後8日目 口腔内の潰瘍で退院できず

急遽ベビーカーの手配を考えている。来週から市内の大学附属病院の形成外科に通うことになるのだが、ものすごく大きな病院で、駐車場も広大。駐車する場所によっては数百メートルも歩かなくてはならない。私が一緒ならまだしも、妻ひとりで連れて行かなければならないときには負担が大きすぎると思うのだ。

ただ、軽量・コンパクトなものは生後1箇月くらいから使うもの。生後すぐに使えるものは大きくて重い。レンタルと購入、あるいは友人のお下がりを組み合わせるのがいいだろうか。来週の検査は私も行くので、6月まで病院に行くことが無いのなら軽量なものを次回通院までに入手しておけばよいだろう。

そんなことを考えながら出社して、そろそろ午後半休の届けでも出そうかと思っていたら、妻からのSMS。

「○ちゃんは口の中がただれて潰瘍ができ、チューブになったようです。退院は延期になりました(T_T)」

妻は(もちろん私も)退院をとても楽しみにしていた。

昨晩は「お義母さんにやっと会わせてあげられる!」と、体調が優れずまだ孫と対面していない私の母に見せられるのを喜んでいた妻。そして私も、初の風呂(沐浴)のイメージトレーニングをしていた・・・。

午後半休は息子の退院か医大附属病院での検査時に使いたいので、今日のところは取得しないことにした。出生届は、今日妻に出してもらうことにし、余裕があれば同時に市役所の保健推進課で育成医療などについて聞いてくるようにSMSを送信した。そしてもう一通。

「退院できなくて残念(>_<) でも頑張ろう」

ごく細いとはいえ、チューブが挿入された状態では退院することができない。潰瘍の状態によっては、来週の医大附属病院の検査まで入院することになるのだろうか。

口唇口蓋裂の子供への哺乳が大変なのは想像していたが、「時間がかかるのだろう」くらいのイメージで、頑張って飲もうとするあまり口腔内に潰瘍ができるという事までは想像できていなかった。潰瘍が出来ればチューブによる哺乳となり、退院することができない。誕生後、状態によっては比較的長期の入院になる可能性があることは、胎児が口唇口蓋裂と診断された親御さんには知っておいてもらいたい。

夕食の後、病院へ。

チューブを通しての授乳は済んでいるかと思ったが、まだだったので、妻が抱いてさすりながら看護師さんが30ccのシリンジで2回分。大変熱心な若い看護師さんで、息子が落ち着く寝かせ方や抱き方を丁寧に教えてくれた。




その結果、授乳後に爆睡する息子。チューブは可哀想だが、おかげでしっかり授乳できていて、体重もまた増えている。

妻によれば、日中に言語療法士さんから電話でアドバイスがあり、「口腔保湿ジェル」というものを口の中に塗ることによって爛れや感染を抑える効果があるという。妻は早速ドラッグストアで購入し、すぐに病院に持っていった。





妻が購入したのは、「オーラルプラス うるおいキープ」という和光堂の商品。トレハロースやヒアルロン酸が配合されていて、ノンアルコール・無香料・パラベン無配合とある。乳児の口に塗るときには 米粒大くらいを使う。価格は980円くらい。特殊な商品ではなく、普通に売られているそうだ。


その後、妻が市役所に行ってくれて出生届はやっと提出できた。また、保健師さんのいる部署で、自立支援医療(育成医療)の書類ももらえた。私も最近調べて知ったのだが、「18歳未満の子どもについて、生活能力を得るために必要な医療の一部を公費により負担する制度」を自立支援医療(育成医療)と呼び、口唇口蓋裂も状態によって対象となる(はず)。申請は毎年必要だが、受給者証があれば自己負担額が1割に抑えられる。また、所得によって負担上限額があり、平均的なサラリーマンの年収であれば月額で1万円だ。この制度は是非利用すべきだろう。

・・・

この土日で退院はないだろうから、水曜に医大附属病院に診察に行くとすると、そのあいだには月曜と火曜しかない。チューブがとれなければ退院できないことも考えると、今の病院から医大附属病院へ通うことになるのだろうか。あるいは転院になるのか。ちょっと先が見えないなぁ。

2013年5月9日木曜日

生後7日目 退院ならず

起床時にとても体が重い。血圧が安定して動けるようになるまでベッドに腰を下ろして待つ。普段は朝早くてもさっと起きられるのだが、このところ睡眠のリズムがバラバラなせいだろう。

昨日は帰宅後から、高3の娘の奨学金申請書類を書いていた。今は申請内容をインターネットで登録できるようなのだが、申請書類にはその下書き用紙が入っていて、そちらに書き込む。それを持って行って、 学校からサイトに入力するのだそうだ。ちょうど口唇口蓋裂を持った家族が増えて、奨学金の必要性が高くなったから、当然そのあたりのことも申込書に記入。所得控除のためには恐らく障害者手帳が必要なのだろうが、まだ出生届も出せていない状態なので、奨学金の申込み時点では提示できないだろう。後日提出でも良いのかどうか、高校に娘から問い合わさせるかな。

今日は息子が退院できるかもしれなかったのだが、午前中に「『もう一度CRP(炎症反応)測定をする』ということで明日になった」と妻から連絡があった。退院できるなら午後半休にして出生届を出し、それから迎えに行くつもりだった。

出生届については、私の署名以外は昨日のうちに妻が記入してくれていた。昨日の妻はそれに加えて、私の代わりに実家に行って、私が先日調理を頼んでいた鯛をもらってきてくれた。鯛は同級生の友人が釣って私達に誕生祝いとしてくれた、なんと66cmの超大物! 全体の半分くらいをもらってきたが、昨晩から3人がかりで半分も消費できていない。

鯛をくれた友人をはじめ、地元の同級生達にはとても感謝している。妻や私の両親の前ではいつも「問題ないよ!」とできるだけ明るく落ち着いているつもりだが、たまには正直な気持ち・・・主にこれからの不安・・・を吐き出す相手が必要だ。同級生なら子供の頃からの気心知れた相手だし、家族ほど近過ぎないから何でも話しやすい。別に素晴らしい解決策を教えて欲しいわけではなく、ただ話せればいい。そういう友人がいて、ありがたいと思う。まあ自分は、基本的にはそんなに落ち込んだりすることはない性格なのだけど。

今夜も20時の授乳の為に病院に行った。エレベーターで、やはり産科病棟にいく若い男女の集団と一緒になったが、まあタバコ臭いこと。私も以前は喫煙していたから偉そうなことは言えないが、せめて産科病棟にいくときくらいは喫煙から30分以上あけてもらいたい。悪阻の妊婦のなかには、喫煙者が乗った後のエレベーターに入っただけで吐きそうになってしまう人もいる。

授乳できる部屋に入って、さっそく授乳を開始。昨日の午後あたりから1回60ccの授乳だが、勢い良く飲んでくれたのであっという間に終わってしまった。体重もいったん減ったところから増加に転じた。最初の縫合手術の時の体重の目安が6kgらしいので、しっかり飲んで大きくなってほしい。


明日はおそらく退院できるので、午後半休を取得して迎えに行く。

【今日のどうでもいいこと】
リステリントータルケアって、本来あれで歯磨きするものらしい。歯磨き後のうがいとして使ってた・・・(それでも良いらしいけど)。

2013年5月8日水曜日

生後6日目 明日退院できるかも

昨晩は一週間ぶりに妻が戻ってきたので、あれこれ話そうと思っていたのだが、私は寝床についたらすぐに寝てしまったようだ。今朝の起床は5時20分。

妻はだいぶ回復してきて、今朝も私と娘の弁当を作ってくれている。排卵誘発剤を使っていた頃から数えればほぼ1年弱、体調がすぐれない期間が続いていたが、 今は「動いても気持ち悪くない!」と、朝からちょこまか片付けをやっている。


これは妻の知り合いの看護師さん達4人から昨日頂いたお花 。妻が看護師をしていた頃の同僚さん達が、退院直前の病室に来てお祝いをしてくれた。皆同世代なので楽しく話ができたようだ。

19時50分くらいに病院に到着して新生児室の入り口で待っていると、チューブがとれた息子を看護師さんが連れてきてくれた。空いている病室を使わせてもらえたので、落ち着いて授乳をさせてもらえた。





チューブがとれているということは、 退院が可能なのだろうか。看護師さんによれば、明日特に問題がなければ退院できるとのこと。これは嬉しい。もちろん自宅で授乳するなら、口蓋の状態を常に注視しておく必要はあるけれど。

市内の大学附属病院の形成外科での診察の日も決まった。1週間後の水曜日。書類に書かれていたお医者様のお名前で検索してみると、私より3~4歳くらい年上。写真を見ると優しそうな先生だとわかった。治療は長期に渡るので、妻や息子が付き合いやすい先生だとありがたい。



2013年5月7日火曜日

生後5日目 新生児黄疸、妻退院

午前4時50分、目覚ましが鳴るのを待って起き上がる。携帯には何も入っていない。Facebookをチェックしようとすると妻からのSMSが入った。私も息子もいない部屋で過ごす夜は寂しかったようだ。小児科の先生の指示があるまで、搾乳でもしながら待ちます、と書いてあった。

シャワーの時に自分の体重を計測すると、息子の誕生前より1.5kgも増えていた。ウォーキングが十分にできなかったし、食事の量も時間も不規則だったのでしかたないか。これからも忙しい日々が続くが、何とか規則正しい生活パターンを見つけないと。

出社してみると、意外に仕事の溜まり方は大したことなかった。一件だけ出産立会中の日に対応を取らなければならなかったメールが入っていたが、事情を説明して今日の対応にさせてもらった。

昼休みに妻に電話してみると、新生児黄疸が出て光線療法をしているとのこと。新生児黄疸は過剰な赤血球がきちんと脾臓で分解されている証拠なので、重症でなければそれほど心配することではない。また、ごく細いチューブで授乳をしているそうだ。黄疸の光線治療は1日あけて2日間、トータルで3日間かかる。妻は今日退院なので、しばらく・・・少なくとも2日は病院に通うことになりそうだ。

仕事を終えて帰宅し、車で病院に着いたときには19時を少し回っていた。途中で買った弁当を病室で食べて、20時の授乳の時間を待っていると急激に眠くなってきて、ついソファでウトウトしてしまった。その間に妻が連れてきた息子はアイマスクをされて、細いチューブを通されていた。


チューブが非常に細いので、このまま授乳ができるそうだ。


今日の午後から、一度の授乳量が50ccになっている。他の子と同じく、一旦減った体重も増え始めた。今日の哺乳瓶の乳首は中に弁が入っているタイプになっていた。飲みやすくて、うまく空気がはいるため授乳途中で口を緩める必要がない。退院時にはこれを持たせてもらうことになるだろうか。


このあと、新生児室に預けて私たちは病院を後にした。途中でドラッグストアに立ち寄って電子レンジでスチーム消毒ができる消毒ケースを購入。薬液タイプよりも価格はやや高かったが、薬液タイプが1時間かかるところ、僅か5分で消毒ができる。他の子より哺乳に気を使う分、妻には少しでも楽をしてもらいたい。

 明日からは、私が会社から帰宅したら、搾乳した母乳を持って妻と病院に通うことになる。光線治療より先の予定はまだ説明されていない。

2013年5月6日月曜日

生後4日目 哺乳瓶かチューブか

午前3時45分。ふと目が覚めて枕元の携帯電話を見る。着信もメールもない。もう一度寝ようと眼を閉じた時、妻からのSMSが入った。内容は緊急のものではなく、夜11時の授乳でもよく飲んだこと、深夜の授乳は産後の疲労のため看護師さんにお願いしたことが書かれていた。

連休最終日の今日、朝イチで病院へ到着。私も授乳に挑戦してみた。

姪っ子の世話をしたことがあるので、私も授乳の経験は無いわけではないが、息子の場合にはより技術というかコツが必要だ。しかも、昨日と違うことがひとつ。哺乳瓶の乳首が口腔の上の部分に当たってやや腫れているとのこと。そこをできるだけ避けて、かつうまく飲めるようにしてやらなければならない。もし出血するとミルクを吐いて誤嚥の原因ともなりうる。


息子の口唇・口蓋裂は、写真のように左側(向かって右)が大きい。昨日はここから乳首を差し込むようにしていたが、その奥側に「当たり」ができている。だから今日はやや右(向かって左)にずらして、少し深めに乳首を入れてやる。同時に哺乳瓶を持った手の中指または薬指で顎をサポートしてやるとうまく飲めるようだ。

「当たり」ができたのは、普通ならば口を閉じて陰圧をかければ乳首から飲めるミルクを、彼は舌と顎で乳首を口の上側へ押し当てて絞り出しているためだと思われる。それはそれで状況への適応の一つだし、根性あるぞ!と褒めてやりたい。しかし当たる部分の組織は、それに耐えられるほど強くはない。

このように状態を確認しながらの授乳を日中は行ったが、小児科の先生の判断で、口への負担を減らすため、20時から翌朝5時の夜間はチューブによる授乳を行うことになった。

夕方の授乳は妻が行い、 その後はしばらく私と睨めっこ。まだそんなにハッキリとは見えていないと思うが、きょろきょろと動く瞳はいつまで見ていても飽きないものだ。看護師さんが新生児室へ連れて帰った後、私と妻が残った病室は何とも寂しく感じる。

明日は通常の母子であれば退院が可能になる日だが、妻と息子はまだまだ。地域連携の病院の口腔外科への予約入れも明日。どのようなスケジュールになるのか、明日の妻からの連絡待ちになる。

連休の間の平日3日間のうち、2日休んでしまって仕事が溜まっているだろう。会社への出産届けもあるし、夕方に病院へ面会に行こうとすると、アクセル全開で仕事をこなす必要がある。さあ、戦いの始まりだ。

2013年5月5日日曜日

生後3日目 授乳の試行錯誤

看護師さんの話では、今朝はミルクを30cc飲むことができたらしい。昨日は一度に15~20cc だったそうだから、大きな進歩だと思う。息子は彼なりに工夫して、しっかり生きようとしている。

妻の母乳も少しずつ出始め、ミルクに混ぜてもらえた。まだ母子同室できなくて、会えるのは1回に30分くらい。今日は妻の従姉妹が来る時間に合わせて、看護師さんに連れてきてもらった。

昨日から看護師さん達が試行錯誤の末、息子に合った乳首をみつけてくれた。それがこちら。




直径は1cmくらいで、かなり柔らかい。長さは4cmくらい。先端の穴は丸く、十字の切れ込みではない。一般に市販されているのかどうか、調べてもらっている。成長してもそれほど形状を変える必要はないらしいので、退院時に幾つか購入してもよさそうだ。





その乳首を使って、初めて妻が授乳を行った。息子の場合、やや左から乳首を口に入れてやることで飲みやすくなるようだ。角度のほか、乳首を口に入れる深さなどもスタッフさん達がベストポジションを見つけてくださった。 ありがたいことだ。乳首が非常に柔らかいためか、空気穴から空気が入りにくく、吸い続けるうちに哺乳瓶の中が陰圧になる。10~20ccごとに口を緩めて空気を入れる必要がある。


私は夕方に病院から帰宅したのだが、妻からのメールによれば20時には40ccを飲んだらしい。妻は悪阻による体力低下で筋肉も減っており、息子を抱えていた左腕がパンパンに張っているそうだ。明日からは私も手伝わなくては。

チューブではなく哺乳瓶で授乳できるとなれば、もしかすると妻と同時に退院することができるかもしれない。どうなるかな。とりあえずチャイルドシートはセッティングしたのだが。

2013年5月4日土曜日

誕生まで

彼の口唇口蓋裂が分かったのは、何回目の妊婦検診だったかな。

エコーを確認していた産科の医師が「兎唇」(みつくち、としん)と言って教えてくれた。私はその単語を知らなかったけれど、元看護師の妻には分かったようだった。インターネットを検索すると、口唇裂・口蓋裂のことだと分かった。



私が同い年の妻と結婚したのは 30代の後半。私は初婚だが、彼女には25の時に前夫との間に産んだ女の子があった。

私と出会うまでの彼女の人生は、順風満帆とは言いがたいものだった。肉親との確執、そして半年で破綻した結婚生活。離婚後、たった一人で娘を中学2年生まで育てた。

彼女と出会ったのは友人を通じてだった。ほんの数回デートをするうちに、おそらくこの女性と結婚するだろうという予感があった。一目惚れ、というのとはちょっと違うけれど、それは直感だった。

妻にとって、私との生活は初めて手に入れた幸せだったのだと思う。その彼女が私との子どもを望むのは自然なことだった。けれど既に40歳が目の前。あまり時間があるとは言えなかった。

結婚半年後に一度自然妊娠したものの、胎児がうまく育たず3箇月で稽留流産。妻の落胆は大きなものだったが、彼女は諦めなかった。不妊治療に通い、ホルモン注射で排卵を誘発。採取した卵子を人工授精させ、状態の良い受精卵を移植する。身体的にも金銭的にもきつい治療。妊娠確率も15%程度。何度も着床せず、「あなたは『努力したら、した分だけの意味があるはず』って言うけど、どんなに頑張っても結果が出なかったら意味なんかないんじゃないの?」 そう言ってうずくまって泣いていた彼女を見るのは辛いものだった。

「これが最後かな・・・」 そう決心して受精卵移植を行い、幸運にも着床・妊娠が確認できた時、私たちは41歳になっていた。

娘の妊娠時にもひどい悪阻だったという妻は、胎児心拍が確認できた直後には入院せざるを得なくなった。食事の匂いを嗅いだだけで吐き、吐くものが無くなっても胃液や胆汁を吐いた。吐きすぎて食道が傷つき、吐血した。入院から2箇月で事情により退院したものの、結局出産直前まで吐いていた。

 臨月に入った妊婦検診で胎児心拍が不安定だと診断され、予定日まで10日を残して陣痛促進剤を用いて経膣出産を行うことになった。しかし入院1日目の朝から陣痛促進剤を用いても出産に至らず、2日目に人工破水。しかし子宮口が開ききらず、出産できず。結局3日目の午後に出産することができた。陣痛促進剤の投与は延べ36時間に及び、悪阻で体力がほとんどなくなっていた妻を支えていたのは精神力だけだったと思う。出産したのは2013年5月3日、昨日のことだった。

生まれたのは3250gの男の子。 有難いことに、口唇口蓋裂以外の問題は今のところ発見されていない。

生まれた我が子は、やはり胎児診断のとおりに両側完全口唇口蓋裂であった。しかし、これ以上ないくらいに愛おしい。誕生の瞬間には、妻と向き合って泣き笑いになってしまった。涙を流したのは何年ぶりだろう。そんな我が子に対しては、しっかり治療をしてやりたいと思う。同時に、人様にはなるべくキレイな顔を見せたいとも思う。

妻は胎児の口唇口蓋裂が判ってから、苦手なインターネットを自分で検索して情報を収集していた。私も本を買ったり、口腔外科の場所を調べたりして協力した。そこで感じたのは、やはり具体的な情報の少なさだった。ブログもいくつか拝見して参考になったが、やはり画像は少ない。妻や私としては、画像を先に見 ておくことで心構えをしておきたかったし、治療の過程が詳細に分かれば心強かったのだが、一方で親としての気持ちもわかる。

そんなわけで少し悩んだが、やはり同じ症状のお子さんを持つ方、特に胎児診断で口唇口蓋裂と診断されたお母様のために、なるべく画像を載せながら治療の過程を記録したいと思う。画像は見る人によっては少しショックを受けられるかもしれないので、その点ご了承いただきたい。

この画像は生後2日目、今日の写真である。両側が裂けており、鼻まで達している(完全)ので、両側完全口唇口蓋裂と言う。助産師さんによれば私に似ているのだそうだ。

小児科の先生や保育士さんが授乳の方法について試行錯誤してくださっている。長くなるので、そのあたりのことは次の投稿に記したい。