もう2月も終わり、明日から3月。3月1日はお姉ちゃん(長女)の卒業式だ。高校の入学前に、駅から学校までの道を一緒について行ったのを思い出す。3年経過して、独りで県外に入学試験を受けに行けるようになったし、何より弟ができて、ちょっと大人になった。
2014年2月28日金曜日
2014年2月27日木曜日
生後301日目 妻の疲れがピーク
お姉ちゃん(長女)の受験の2日目は化学の1科目のみ。受けてみると難しく、最終問は解答を書ききれなかったらしい。その大学の化学の入試問題は、毎年1問は高校の化学の範囲を超えているものが出題されるということなので、満点防止用のものだろう。入学試験ではよくあることだ。
2014年2月26日水曜日
生後300日目 50日毎に写真で振り返る
生まれた日を1日目として、生後300日を迎えることができた。昨年の今頃は出産を約2箇月後に控え、期待と不安が4:6くらいだった。まず母子ともに生命の危険がないように・・・と心配していたし、エコーで口唇口蓋裂が分かっていたから、誕生後の治療はどんなものなのか、そして生まれた子を可愛いと思えるのか、予定日が近づくにつれて不安が少しずつ大きくなっていった。
2014年2月25日火曜日
生後299日目 お姉ちゃん受験1日目
お姉ちゃん(長女)は、昨日のお昼に新幹線に乗って京都へ移動した。ホテルは14時からチェックインできるので、新幹線から地下鉄に乗り換えて、14時過ぎに着くように、新幹線の時間を選んで切符を購入して渡しておいた。
2014年2月24日月曜日
生後298日目 アトピーのケア(塗り薬編)
息子は軽いアトピーがあるようで、乾燥肌・敏感肌も手伝って、ちょっとしたことですぐに肌が荒れてしまう。口唇裂手術まで貼っていたテープ、およびその下に貼っていたデュオアクティブETでもかなりの肌荒れが起き、血が出てしまうようなこともあった。顔にテープ類を貼らなくなってずいぶん経過するが、いまだに頬は荒れた状態になることが多い。
2014年2月21日金曜日
生後295日目 肌荒れ対策の結果
浅田真央選手がフリーの演技で出した得点は自己最高の142.71。銅メダリストになったコストナー選手のフリーの得点を上回るものだ。
フリーは自分が4年間やってきたことができた。たくさんの方に支えてもらったので恩返しができた何より、浅田選手がこのように思えたことが全てだろう。フリーで成功させたトリプルアクセルだが、ショートプログラムでは回避する選択もあったとは思う。しかし、男子で4回転を飛ぶことが常識となりつつある今、女子でもトリプルアクセルに挑戦する姿勢は讃えられるべきだ。プルシェンコ選手のツィートにもその考えはあらわれている。
Mao - you was great, special thanks for Axel 3,5! You're real fighter!!
2014年2月20日木曜日
生後294日目 リハビリ受診の結果
フィギュアスケート女子シングルのSPをちょっとだけ見ていたが、浅田真央選手は冒頭のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠き、何と16位。最終滑走というプレッシャーのかかる順番だったことも影響していたのかもしれない。この結果で、明日のフリーでは開き直って滑れるのではないだろうか。メダルどうこうよりも、浅田選手自身の納得のいく演技ができるように願っている。
2014年2月19日水曜日
生後293日目 リハビリ通院日
バリ島でダイビングをしていた日本人女性7名が行方不明になっていた件で、5名は救助され、1名の死亡が確認された。残る1名の捜索が続行されている。現場は潮流が激しい所で、潮の流れに乗ってダイビングを楽しむ、「ドリフトダイビング」を行っていたそうだ。当然、普通のダイビングに比べれば危険性が高く、安全性への配慮が求められるのだが、船がダイバーを見失うなどの過失があったらしい。
2014年2月17日月曜日
生後291日目 父ちゃんは筋肉痛
就寝が午前2時だった日曜日は、さすがにいつものような早起きをすることができず、9時を過ぎて息子が騒ぎ出してから目がさめたような状態だった。右の方から肘にかけてなんとも言えない鈍痛があり、腰も背中も張りがあって午前中は何もできずに過ぎていった。
2014年2月16日日曜日
生後290日目 便に血が混じる!?
昨日は疲れた。
朝8時過ぎに出発し、近鉄十条駅付近の駐車場にに到着したのが11時過ぎ。そこから近鉄と地下鉄を利用して移動しているあいだ、雨がずっと降り続いていた。防寒用のジャンプスーツ(表面が滑りやすい)を着た息子を、傘を差しながら抱えて歩くのは重労働だった。今朝は両腕がパンパンになっている。
朝8時過ぎに出発し、近鉄十条駅付近の駐車場にに到着したのが11時過ぎ。そこから近鉄と地下鉄を利用して移動しているあいだ、雨がずっと降り続いていた。防寒用のジャンプスーツ(表面が滑りやすい)を着た息子を、傘を差しながら抱えて歩くのは重労働だった。今朝は両腕がパンパンになっている。
2014年2月15日土曜日
生後289日目 京都へ~お姉ちゃん受験下見
朝早く起きてテレビをつけると、羽生結弦選手が金メダリストとして表彰(フラワーセレモニー)を受けていた。フリーの演技はダイジェストでしか観れていないのだが、冒頭の4回転サルコウで着氷失敗したのと、トリプルルッツでステップアウトしたところ、そして4回転トウループを綺麗に成功させたところは観ることができた。
納得いく演技ではなかったのだろう。インタビューではいきなりスミマセンと謝っていた。総合点でパトリック・チャン選手を上回っていたのが驚きだったとも言っていた。彼にとっては、「理想の演技>>金メダル」ということか。何とも頼もしい19歳である。
高橋大輔選手、町田樹選手も表彰台には届かなかったものの、二人とも入賞した。高橋大輔選手は私達の地元の出身であり、日本中の期待を背負いつつ、度重なる怪我に悩まされながらも、これまで長年にわたって日本のフィギュアを引っ張ってきた功労者である。今はゆっくりと休んでほしい。
納得いく演技ではなかったのだろう。インタビューではいきなりスミマセンと謝っていた。総合点でパトリック・チャン選手を上回っていたのが驚きだったとも言っていた。彼にとっては、「理想の演技>>金メダル」ということか。何とも頼もしい19歳である。
高橋大輔選手、町田樹選手も表彰台には届かなかったものの、二人とも入賞した。高橋大輔選手は私達の地元の出身であり、日本中の期待を背負いつつ、度重なる怪我に悩まされながらも、これまで長年にわたって日本のフィギュアを引っ張ってきた功労者である。今はゆっくりと休んでほしい。
2014年2月14日金曜日
生後288日目 乳児用菓子が口蓋裂に!
フィギュアスケート男子シングルのショート・プログラムで、羽生結弦選手が史上初の100点超えを記録し、暫定1位に立ったことで、朝のニュースはこの話題が中心だった。4位につけた高橋大輔選手は私達の地元の出身なので、こちらも応援している。妻はプルシェンコ選手が棄権したのを残念がっていた。
2014年2月13日木曜日
生後287日目 父ちゃんはお仕事タイヘン
最近は帰宅時間が20時から21時になることが多い。息子が生まれてからは、ほとんど定時帰りができていて、18時半には帰宅できていたので、家族と過ごす時間が2時間くらい削られていることになる。
2014年2月11日火曜日
2014年2月10日月曜日
生後284日目 ピジョン マグマグ コップ
降雪で引きこもりした翌日の日曜日、車に積もった雪を落として買い物に向かった。週に一度、車で10分のディスカウントスーパーで一週間分の食料品などを大量購入するのが、このところの妻の習慣だ。
2014年2月9日日曜日
生後283日目 育児ノイローゼ?悲しいニュース
昨日は積雪で外出をあきらめ、完全引きこもり状態であった。もちろん私の抜糸もできていない。オリンピックが始まっているから、ゆっくりと羽生結弦選手の団体予選の演技の再放送を観たりしていた。プルシェンコ選手を上回るSPの得点を叩きだした彼の演技は、素人目にも素晴らしくて、「あら、もう終わり?」と思うほど短く感じられた。
2014年2月7日金曜日
2014年2月6日木曜日
生後280日目 私のイビキ・・・
ソチ・オリンピックの入場行進での日本の順番は、なんと最後から二番目だそうだ。キリル文字で日本を「нихон」と記した際に、キリル文字の順番では最後になるのだという。入場行進での最後は、もちろん開催国であるロシアである。
2014年2月5日水曜日
生後279日目 難聴と鼓膜チューブ留置術
作曲家の佐村河内守氏が、十数年前から実際の作曲を他の人に依頼していた、というニュースが流れた。私はクラッシック音楽には疎いので、佐村河内氏を知ったのもNHKの特集番組だった。その番組では、佐村河内氏の難聴は、常に轟音が聞こえているような状態だと伝えていた。よくそんな状態で作曲ができるなぁ、と感心したのは覚えている。
2014年2月3日月曜日
生後277日目 9箇月バースデー
2014年2月2日日曜日
生後276日目 皮膚腫瘍摘出術(私)
仰々しいタイトルを付けたが、要するに頭皮にできて大きくなったホクロの切除である。私達が通っている皮膚科では、土曜の午後3時からがオペの時間帯。「5分前に来てください」と言われたが、一応20分くらい前には着き、誰もいない待合で待つこと約30分で中に呼ばれた。
2014年2月1日土曜日
生後275日目 子供のいる相手との結婚とは
歳をとってから息子が生まれたことを、とても幸せなことだと思っている。
これは私だけでなく、妻も日頃から口にしている。シングルマザーとして娘を育てていた時には余裕がなくて感じられなかった、子育ての楽しさを初めて体験しているのだと。そして、いつも「あの悪阻さえなければ・・・、あと2人は育てたいんだけど」と言っている。
私としては、彼女はすでに十分以上に頑張ったと思っている。実際に血を吐くほどの悪阻に苦しみながら娘を出産し、18年後にも更に酷い悪阻でボロボロになりながら息子を出産してくれた。確かに息子には少し障害があり、何の問題もない赤ちゃんの子育てというものを、私はどうやら体験できなさそうだが、しかし妻と共に息子の障害の治療に通う日常ですら、私達には宝物となる日々なのだ。
これは私だけでなく、妻も日頃から口にしている。シングルマザーとして娘を育てていた時には余裕がなくて感じられなかった、子育ての楽しさを初めて体験しているのだと。そして、いつも「あの悪阻さえなければ・・・、あと2人は育てたいんだけど」と言っている。
私としては、彼女はすでに十分以上に頑張ったと思っている。実際に血を吐くほどの悪阻に苦しみながら娘を出産し、18年後にも更に酷い悪阻でボロボロになりながら息子を出産してくれた。確かに息子には少し障害があり、何の問題もない赤ちゃんの子育てというものを、私はどうやら体験できなさそうだが、しかし妻と共に息子の障害の治療に通う日常ですら、私達には宝物となる日々なのだ。
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