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2015年4月24日金曜日

生後723日目 お産のあとのご挨拶

昨日、産科医さんのツィートが目にとまった。
そしてふと、息子が生まれた病院でお世話になった2人の先生のことを思い出した。

お一人は産科の先生。この地域では屈指の実績を持つ超ベテランの先生だ。難しいお産になりそうな妊婦さんを含めて、多くの方がこの先生を頼っている。高齢出産だった妻もその一人。

息子が口唇口蓋裂であると胎児診断をしてくださったのもこの先生だ。原因は悪阻の栄養不足かと気にする妻に、「関係ない。確率の問題」と簡潔に答えていただいた。

予定日まであと10日ほどの検診で胎児心拍が下がっているという診断を受け、急遽陣痛促進剤を使用してお産を開始。足掛け3日、54時間かかって息子は生まれた。この時の判断のおかげもあって、口唇口蓋裂以外には何の障害もなかった。

もう一人は不妊治療の先生。この方も数百キロ遠方からでも患者さんが頼って来られるエキスパートだ。3年にわたる不妊治療の間、妻を診ていただき、最終的に息子を授かることができた。いくら感謝してもしきれない。

息子の口唇裂手術が終わってしばらくした頃、妻がこの先生達に御礼に行きたいと言った。お二人は同じ病院だ。

「うん、いいね。でもIVF(体外受精)センターにこの子連れて行くのは・・・」

「分かってるわ。産科で挨拶したあと、友達に預けて、一人で写真持って行ってくる」

IVFセンターでは、不妊治療中の女性がずっと長時間待っておられる。そこに乳児を抱えて行くような無神経なことはできない。

そして当日。私は仕事を休むことができず、妻だけが行った。

産科の先生には、ほんの一瞬会えたそうだ。「うん、おっきいね!」と笑顔で言ってもらえた。

不妊治療の先生には、受付で声に出さなくて良いようにメモを渡して少しだけ面会。写真を御覧になった先生はにっこり笑って「(写真を)見せてくれてありがとう」と言ってくれたそうだ。

お二人とも超ベテランの医師だから、元妊婦が御礼の挨拶に来てもモチベーションに大きな影響はないのかもしれない。だが少しは、充実感のようなものを持ってくださったのではないかと思っている。

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息子は昨日も大好きなお庭で遊んでいた。


妻の携帯に保存された画像の日付を見ると、午前と午後に1回ずつ庭に出て遊んだようだ。妻は紫外線アレルギーがちょっとあるので、大丈夫かな・・・?


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2014年5月3日土曜日

生後366日目 1st birthday 感謝とともに

おかげさまで、1歳の誕生日を迎えることができた。
この日に至るまで、本当に多くの方にお世話になった。感謝に堪えない。

2013年7月31日水曜日

生後90日目 不妊治療助成の年齢制限

一昨日くらいのニュースになるが、厚生労働省の検討会が不妊治療助成制度について、43歳未満という年齢制限を設けるべきだという意見をまとめた。

最近まで40歳未満という線で意見集約が進んでいたと記憶しているが、40歳以上で不妊治療をしている人も多く、 43歳未満という意見になったらしい。

現状の助成制度は
  • 年齢制限無し
  • 5年間で10回まで(1年目は年3回、2年目以後は年2回)
  • 1回15万円まで
となっている。 不妊治療の助成件数は昨年度は年間13万件、200億円が支出されている。このうちの1件は私達への助成だ。厚生労働省の検討資料によれば、43歳では約95%が妊娠できない、とある。

不妊治療を始めようとしている方の中には、少し誤解をされている人も少なからずおられる。不妊治療をすればすぐに妊娠して、赤ちゃんが産めるものだ・・・とか。若い方ならばそういうこともあるかもしれないが、40歳をすぎるとかなり難しい。何度も何度も不妊治療に通うことになる。排卵のためのホルモン剤注射では体調を崩すし、病院での待ち時間は長い。

不妊治療の精神的負担も見逃せない。挑戦と失敗を繰り返していると、どんどん追い詰められていく。妻は、「不妊治療してない期間というか・・・、あの場所(不妊治療する病院)から離れている時間が必要なの」と、ニュースを見ながら口にしていた。休息期間は精神的に必要だが、その間にも年齢を重ねてしまう。だから焦ってしまって気が休まる時がない。

不妊治療は妊娠するまでの問題ではない。妊娠すれば、今度は流産の危険との戦いになる。一度自然妊娠した胎児の稽留流産を経験した私達の場合、安定期に入ってからも気が気ではなかった。流産した女性の心の傷は中途半端なものではない。43歳以上では、その流産の確率が50%を超える。

ちなみに海外では、助成制限はイギリスとフランスも43歳未満で、ドイツでは41歳未満である。

ともかく、妊娠・出産を希望する若い女性には、この助成制限の年齢をよく意識してほしい。

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 昨日の体重は6.7kg。夜中は4時くらいに一度起きたくらい。今日は足りなくなってきたデュオアクティブを入手するために、妻が医大附属病院に行くことになっている。

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妻は予定どおり、医大附属病院に行って超簡単な診察の後、デュオアクティブを2枚処方してもらっていた。スキントーンは売店で購入。

今日はTwitterでのフォロワーさんから御出産のツィートがあり、ほっとしたところだ。胎児診断でお子さんが口唇口蓋裂ということは事前に判っておられた。
やっと会えた赤ちゃんはほんとに可愛くて幸せです
本当に良かった。今日は珍しく飲もうかな。直接お会いしたことはないけれど、御出産をお祝いして、乾杯!!



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2013年6月16日日曜日

生後45日目 まず子供ではなく奥さんを気遣うこと

昨晩は8時に眠たくてたまらなくなり、息子を風呂に入れないまま、「1時間だけ・・・」と言ってそのまま午前4時まで眠ってしまった。出産内祝いの発送手配や、手渡しするのにグルグル回って疲れていたのかもしれない。妻は私を気遣ってかリビングで息子と寝て授乳もしていたはずだが、私を起こすことはなかった。ありがとう。。。

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昨日の内祝配りが終わったあと、車で15分の実家に寄って、検診の結果問題がなかったことを報告。私の母が授乳してくれたり、あやしてくれたり。「お義母さんが嬉しそうなのを見ると、なんだか『私、よくやった~』って感じ。。。生まれるまで色々大変だったけど、それもいい思い出」とは妻の言葉だ。稽留流産のあと、不妊治療に通っていることを私が口を滑らせて母に言ってしまったこともある。その場に妻もいて、母に見えないようにしながら少し涙ぐんでいた。・・・今ではそれも思い出の一つだが、あの時の私は気遣いが足りなかった。





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仕事が終わって電車に乗るとき、いつも妻にSMSを送るようにしている。これは結婚してからずっと、ほぼ毎日送っている。息子が生まれて退院してからも勿論送っていたのだが、退院から10日くらいで、SMSの内容が息子の様子を聞くものばかりになっていることに気がついた。

もちろん妻は「元気だったよ~」とか「ちゃんとウンチ出ました!」などと返してくれるのだが、私から妻に送るメッセージはこれではいけないと思ったのだ。だから、電車に乗った時のSMSでは、「妻の」体調などを聞く、息子が生まれる前の内容に戻した。

乳児を子育て中のお母さんは丸一日子どもと向き合い、社会との繋がりが希薄になって孤立感を味わうことが多い。旦那さんとのコミュニケーションだけが、鬱憤のはけ口になることが多い。ならば、旦那さんは機会をとらえて奥さんが話しやすいきっかけや雰囲気を作るようにするべきだ。旦那さんが口を開けば子供のことばかりでは、奥さんの気持ちは爆発するか落ち込むかのどちらかになってしまう。中には旦那さんの気遣いがなくても関係なく元気な奥さんもあるかもしれないが・・・

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ほぼ1日中雨だった昨日とはうってかわって、今日は最高気温が33~34度にまで上昇するらしい。妻と息子の調子にもよるが、どこかに美味しいものでも食べに行けたらいいな。



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2013年6月14日金曜日

生後43日目 1箇月健診/凍結受精卵保存終了

午後から1箇月健診のために、出産した病院へ行くことになっているが、その病院へ行くのには、もう一つ目的がある。不妊治療でお世話になった先生にお礼を申し上げ、凍結受精卵の保存終了をお願いすることだ。

以前の記事にも書いたが、 長い不妊治療を経て息子を授かった私達としては、受精卵の保存を終了してしまうことには心理的な抵抗が大きい。あの時の受精卵の一つが偶然に選ばれて、こうして息子として授かった。残りの、今凍結保存されている受精卵も、ほとんど違いはなかった。



しかし、私達の年齢と妊娠中に激しい悪阻に苦しむ妻の体質を考えれば、その受精卵をもう一度移植することは現実的ではない。息子をしっかり育てていくという覚悟も込めて、今日保存終了をお願いするつもりだ。学術的な研究に使用されるのであれば同意しようと思う。そして、この日を覚えておこう。

出産後に不妊治療の先生にお会いする場合には、周囲に細心の注意を払わなければならない。不妊治療中の方々の隣で赤ちゃんを抱いて待つなどということは、絶対にしてはならない。不妊治療中の女性は、様々な不安と必死で闘いながら辛い治療に耐え、長い待ち時間をひたすら待っているのだ。

私が1箇月健診について行くのには、妻一人で不妊治療の先生にお会いできるようにするため、というのが大きな理由である。妻がIVFで待っているあいだ、私が離れた場所で息子の面倒を見る。これなら他の不妊治療中の女性に不快感を与えずに済む。

妻は昨晩、IVFの受付で出すメッセージを大きな付箋紙に書いていた。内容は「凍結受精卵の保存について、先生とお話したい」ということだ。これは、受付で声に出すと不妊治療中の女性に聞こえてしまうかもしれないから、という妻の配慮である。彼女はこの不妊外来でも看護師として働いていたし、患者としても何年も通っていた。だから医療者側の事情も患者の気持ちも熟知している。息子の育児が一段落したら、また看護師として経験を活かしてもらいたい。

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午後1時、病院の最寄りの駅まで車で迎えに来てくれた妻と合流。健診は朝からだったが、不妊外来や産科の検査は午後になるので、検査の途中で外出して迎えに来てくれた。ところが車中で聞いてみると、既に不妊外来も産科も終わっているという。偶然なのか、どちらも非常に早く順番が回ってきたらしい。では不妊外来にはどうやって行ったのかと聞くと、知り合いのベテラン看護師さんがおられて、あやしてもらっていたらしい。

1箇月健診で計測してもらったところ、体重は4710gであった。小児科の先生にもしっかり発達していると太鼓判を押してもらい、まずはひと安心である。予防接種については、やはり2箇月の誕生日からが原則だと言われた。まあこれは仕方ないところか。





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2013年5月13日月曜日

生後11日目 凍結受精卵をどうするか

昨晩妻と話したのは、不妊治療から心拍が確認できて、悪阻が激しくなってきた頃のこと。それから、まだ凍結保存してある残り2つの受精卵のこと。

昨年の夏の不妊治療の時の受精卵は合計5個。そのうち3個の分割状態が良く、1個を選んで戻したの去年の8月だった。それまでも何度も戻しては着床しなかったので、着床しなかった時に備えて残り2個は凍結保存されたままとなった。ほぼ妊娠全期間に渡る激しい悪阻と、足掛け3日間・54時間の陣痛を乗り越えて息子が生まれた今、保存されている受精卵をどうするかそろそろ決めるべき時期だ。

受精卵の画像やスケッチを見なおしながら、あの時の受精卵のうちの一つが、こうして息子になったのだと思うと、廃棄してしまうことはやはり心理的抵抗が大きい。しかし、妻の体力や年齢を思えば着床確率は低いし、着床したとして、もう一度あの壮絶な状況を体験させたいとは思わない。

一方、考えたくないことだが、息子に万が一のことがあったら?ということも頭をよぎる。

結局、来月初めに不妊治療の先生にお会いするときに、保存終了をお願いすることにした。それがケジメであると思うし、息子を育てあげるという覚悟だ。もし研究目的で使用されることがあるなら、同意する。不妊・あるいは他の疾患の研究の一助となるならば、それも供養の一つになるはずだ。私たちは、息子の誕生日と同じように、受精卵の保存が終了した日を覚えていたいと思う。

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会社へ家族異動届を提出する際に必要な住民票を、妻が市役所で取得して車で会社まで持ってきてくれた。異動届を出した上で、被保険者有資格者証かそれに準ずる書類をもらっておけば、保険証ができるまでの期間、代わりに使用することができる。これは明日作ってくれるから、明後日の医大附属病院での診察に使えるだろう。ちょっとギリギリだったが。

娘の奨学金申請のために、所得証明の取得も必要なのだか、今年度分は明日からの交付なので、また明日も妻に市役所通いをしてもらわなくてはならない。幸い体調はかなり良いらしいのであまり心配はしていないが、まだ産後10日。無理はさせられない。

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今日は私と妻で、シリンジにそれぞれ1本ずつチューブ経由で授乳した。合わせて65cc。注入に合わせて、保湿剤のジェルを付けた小指を口に入れてやるようにした。せめて何か吸ってるような感じにしてみたかったのだが、当の本人はほとんど寝ていたようだ。今日の体重は3283g。順調に増えて出生時体重を超えた。

現在の心配事といえば明後日からの授乳だが、医大附属病院で診察してもらう前にあれこれ考えても仕方がない。今できることをやるだけだ。


2013年5月4日土曜日

誕生まで

彼の口唇口蓋裂が分かったのは、何回目の妊婦検診だったかな。

エコーを確認していた産科の医師が「兎唇」(みつくち、としん)と言って教えてくれた。私はその単語を知らなかったけれど、元看護師の妻には分かったようだった。インターネットを検索すると、口唇裂・口蓋裂のことだと分かった。



私が同い年の妻と結婚したのは 30代の後半。私は初婚だが、彼女には25の時に前夫との間に産んだ女の子があった。

私と出会うまでの彼女の人生は、順風満帆とは言いがたいものだった。肉親との確執、そして半年で破綻した結婚生活。離婚後、たった一人で娘を中学2年生まで育てた。

彼女と出会ったのは友人を通じてだった。ほんの数回デートをするうちに、おそらくこの女性と結婚するだろうという予感があった。一目惚れ、というのとはちょっと違うけれど、それは直感だった。

妻にとって、私との生活は初めて手に入れた幸せだったのだと思う。その彼女が私との子どもを望むのは自然なことだった。けれど既に40歳が目の前。あまり時間があるとは言えなかった。

結婚半年後に一度自然妊娠したものの、胎児がうまく育たず3箇月で稽留流産。妻の落胆は大きなものだったが、彼女は諦めなかった。不妊治療に通い、ホルモン注射で排卵を誘発。採取した卵子を人工授精させ、状態の良い受精卵を移植する。身体的にも金銭的にもきつい治療。妊娠確率も15%程度。何度も着床せず、「あなたは『努力したら、した分だけの意味があるはず』って言うけど、どんなに頑張っても結果が出なかったら意味なんかないんじゃないの?」 そう言ってうずくまって泣いていた彼女を見るのは辛いものだった。

「これが最後かな・・・」 そう決心して受精卵移植を行い、幸運にも着床・妊娠が確認できた時、私たちは41歳になっていた。

娘の妊娠時にもひどい悪阻だったという妻は、胎児心拍が確認できた直後には入院せざるを得なくなった。食事の匂いを嗅いだだけで吐き、吐くものが無くなっても胃液や胆汁を吐いた。吐きすぎて食道が傷つき、吐血した。入院から2箇月で事情により退院したものの、結局出産直前まで吐いていた。

 臨月に入った妊婦検診で胎児心拍が不安定だと診断され、予定日まで10日を残して陣痛促進剤を用いて経膣出産を行うことになった。しかし入院1日目の朝から陣痛促進剤を用いても出産に至らず、2日目に人工破水。しかし子宮口が開ききらず、出産できず。結局3日目の午後に出産することができた。陣痛促進剤の投与は延べ36時間に及び、悪阻で体力がほとんどなくなっていた妻を支えていたのは精神力だけだったと思う。出産したのは2013年5月3日、昨日のことだった。

生まれたのは3250gの男の子。 有難いことに、口唇口蓋裂以外の問題は今のところ発見されていない。

生まれた我が子は、やはり胎児診断のとおりに両側完全口唇口蓋裂であった。しかし、これ以上ないくらいに愛おしい。誕生の瞬間には、妻と向き合って泣き笑いになってしまった。涙を流したのは何年ぶりだろう。そんな我が子に対しては、しっかり治療をしてやりたいと思う。同時に、人様にはなるべくキレイな顔を見せたいとも思う。

妻は胎児の口唇口蓋裂が判ってから、苦手なインターネットを自分で検索して情報を収集していた。私も本を買ったり、口腔外科の場所を調べたりして協力した。そこで感じたのは、やはり具体的な情報の少なさだった。ブログもいくつか拝見して参考になったが、やはり画像は少ない。妻や私としては、画像を先に見 ておくことで心構えをしておきたかったし、治療の過程が詳細に分かれば心強かったのだが、一方で親としての気持ちもわかる。

そんなわけで少し悩んだが、やはり同じ症状のお子さんを持つ方、特に胎児診断で口唇口蓋裂と診断されたお母様のために、なるべく画像を載せながら治療の過程を記録したいと思う。画像は見る人によっては少しショックを受けられるかもしれないので、その点ご了承いただきたい。

この画像は生後2日目、今日の写真である。両側が裂けており、鼻まで達している(完全)ので、両側完全口唇口蓋裂と言う。助産師さんによれば私に似ているのだそうだ。

小児科の先生や保育士さんが授乳の方法について試行錯誤してくださっている。長くなるので、そのあたりのことは次の投稿に記したい。