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2014年1月12日日曜日

生後255日目 妻、蕁麻疹でダウン

息子が両手で何かをコネコネしている様子を見ていた妻。「ゴミか何か持って遊んでるわ」と言うので見てみたら、それは口唇口蓋裂の乳児の必須アイテム、ホッツ床だった。

自分で口から取り出したのか、たまたま自然に出たのを拾って遊んでいたのかは分からない。まだあと50日くらいは使うホッツ床だから、無くしたり壊したりすることのないようにしたい。

2013年9月18日水曜日

生後139日目 口唇裂術後5日目(1) 妻の誕生日


午前1時半に妻からSMSが入っていた。喉が痛いので、イソジンのスプレーを夕方に持ってきて、と。夕方まで待つのは辛かろうから、1時間早く家を出て、朝届けよう。

そして、今日は妻の誕生日。

いつもの妻の誕生日なら、会社帰りにケーキを買って、娘と3人で食べるのだが、今回は息子の入院に付き添っているので、皆で食べることができない。何か良いプレゼントはないかな・・・と思いつつ、準備できないまま今日になってしまった。

とりあえず、喉の薬を持っていくか。



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2013年8月29日木曜日

生後119日目 手術2週間前・妻の心境は・・・

「お口切れちゃってて、ごめんねぇ」

昨晩のお風呂の前、にこやかに世話をしながら、妻が息子に話しかけた。 深刻な口調ではないが、この小ささで手術を受けさせなければならないことに、申し訳ないという気持ちがあるのだろう。


「もしお口のこと(口唇口蓋裂)がなかったら、僕も君もこんなに赤ちゃんを見ていなかったんじゃないかな。当たり前すぎて普通はスルーしてしまうようなことに気づけてると思うよ」

そう言ってみて、では普通の子育てとはどんなものだろうと考えてみたりする。


昨晩のお風呂ではテープとホッツ床を外していた。素に近い顔を見て、

「このお顔もあとちょっと・・・」

と呟いた妻は複雑な表情だった。

・・・

目下の関心事は来週の術前検査と再来週の口唇裂手術に向けて、息子の咳を治すことだ。一時は声がかすれて出なくなっていたが、だいぶ戻ってきたのではないかと思う。

あと心配なのは妻のメンタルだ。私は日中仕事に出ていて、作業に集中している時は子供のことは頭の片隅にあるだけだが、妻は24時間向き合っている。術前検査や手術、入院のことがプレッシャーになっているだろう。できるだけ話を聞いてやらなければ・・・。



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2013年7月27日土曜日

生後86日目 一人旅計画(お姉ちゃん)

一番搾りフローズン生
昨日は中途入社社員の歓迎会。前日まで忘れていて妻に伝えるのが当日の朝になってしまったが、「わかった~。楽しんでね~」という有難い御言葉を賜り(笑、3時間ほど遅い帰宅になった。

妻と娘(と息子)の夕食は、夜10時まで営業している地元のカフェで済ませたらしい。妻と娘で外食する機会は、私の会社の付き合いのときくらい。巨大なパフェを夕食代わりにしたそうだ。私が帰宅した時には、二人してタブレット端末(Nexus7)でソリティアをやって遊んでいた。

お風呂は夜11時になってしまった。体重は6.6kg。最近のウンチは1日おきになっている。肌荒れの部分は痒いみたいなので、メンソレータムADをちょっとだけ塗っている。検索してみると、「メンソレータムADこどもソフト」というのがあるらしいので、妻の手書き買い物リストに記入しておいた。

・・・

昨晩、娘(高校3年生)が日帰りで鹿児島に行きたいらしいと妻が言っていた。どうやら目当てはこれらしい。受験生で忙しいし時間もお金もかかるので、本人もどうしようかなぁ・・・という感じだった。

一夜明けて、妻が「行き方を調べてくれる・・・? 私よくわからないから」と言う。どうやら妻は娘を行かせることに前向きのようだ。私たちの住んでいるところからは鹿児島は結構遠い。

「鹿児島なんて、あたしも行ったことないし、なかなか行く機会はないと思うの」

可愛い子には旅をさせろというし、ここは行かせてみようか。高校に入るまでは在来線で2駅の区間に乗るのも手取り足取り状態だったから、一人旅を経験させるのも悪くない。

今朝、娘に確認してみる。

「往復のチケット代は出してあげるから行ってみたら?」

「う~ん」

迷ってるようだ。

「高校時代しか経験できないことってあるよ。僕もそうだったし」

「うん。行ってみる。ありがとう」

「向こうの駅からのこととか諸々は自分で調べてね。あと、写真を撮ってきてね。鹿児島なんて滅多に行けないから」

「わかった~♪」

安くあげるなら夜行バスという手もあるが、乗車時間が恐ろしく長いので、車に酔いやすい娘は無理だろう。九州新幹線が開通して鹿児島に行くのも便利になっているから、新幹線が無難だ。私が手配するのは往復の新幹線のチケットだけ・・・ってことで、JRのサイトからチケット予約。

実は私も、高校2年生と3年生の時に鹿児島を含め九州を旅したことがある。高校2年生の時はフェリーで九州に渡り、一人自転車で九州を一周。3年生の時は親友と二人、進路が決まった3月に卒業記念として「青春18きっぷ」で九州の路線を乗り継ぐ行き当たりばったりの旅をした。あれはいい経験だったと思う。大人になると、そんな贅沢な時間はなかなかとれない。

旅といっても新幹線の日帰り旅行。今まで超インドア派だった娘には、いろんな所に一人ででかけるきっかけにしてほしい。



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2013年7月17日水曜日

生後76日目 結婚記念日

一昨日の計測結果が6.3kgで、これはウソだなぁと思っていたが、昨日は6.2kgという納得しやすい値だった。一時期、ウンチが3日に一度くらいの頻度になることがあったが、最近は1日1回。昨日はお風呂の前まで出ていないという話だったので、お腹を「の」の字にマッサージしてみると、大量に排便(^^;; マッサージに関係なく、偶然そのタイミングだったのかもしれない。今日のお風呂の前にもやってみよう。

お風呂の後には、左頬のデュオアクティブを除いて全て交換した。最近、ミトンをした手で頬を掻くようにすることが多いので、 もしかすると少し痒いのかもしれない。デュオアクティブを剥がした後、濡れたガーゼと乾いたガーゼで拭く。特にかぶれてはいない。新しいデュオアクティブはできるだけ小さくしてみた。

・・・

今日が結婚記念日だというのを忘れないで済んだのは奇跡的かもしれない。0歳児が家にいれば、忙しくてそれどころではなくなるというのが実際のところではないだろうか。まして、毎日何らかの処置が必要だったり、頻繁な病院通いが必要な病気・障害がある子供を持っていればしかたないだろう。私も来年覚えているかどうかは怪しいので、今から来年の結婚記念日をスマホのアプリに登録しておこう。。。

昨日の帰り道、駅ナカのケーキ屋さんでケーキの予約。極端に可愛いケーキばかりで困った(笑)。ケーキにはメッセージを付けることができるのだが、口頭で女子店員さん(たぶん20代前半)に伝えるのが恥ずかしかったなぁ(^^;;;

ケーキは今日の18時くらいに受け取って持って帰る。どんなケーキかは夜に追記する。

・・・

お店で受け取って持ち帰ったのは・・・これだっ

ちなみにフランボワーズです
お子様かっ(笑

今年は妻と娘と3人で頂いたが、来年は息子も食べられるだろう。



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2013年7月9日火曜日

生後68日目 どうする?出産後のお披露目

口唇口蓋裂や、その他の外見に関わる疾患をもって生まれる子の御両親が気になることといえば、出産後のお披露目をどうするかということだと思う。私達の場合どうだったかを、忘れないうちにまとめておく。



エコーで口唇口蓋裂がわかったのは妊娠20W前後だったから、エコーの写真を親や兄弟に見せて説明はしておいた(このあたりは過去記事に書いた)。だから親族に子供を見せる時は、それほど気を使うことはなかった。問題は友人の場合だ。

まず生まれたことの第一報。私達の場合はFacebookを使った。ただし画像は載せなかった。生まれた日時、性別、体重、妻の健康状態を簡潔に記し、感謝の言葉を付けて終わり。「取り急ぎ」感を出して短い文章を投稿したわけだ。数十件のお祝いコメントが来たが、出産に3日もかかったことも書いておいたので、私達の体調を気遣ってか、写真を載せてくれといったリクエストはなかった(リクエストがあっても忙しさを理由にして無視するつもりだった)。



息子の退院は生後13日目までずれこんで、それまでは友人の訪問もなかった。最初に矯正歯科を受診し、ホッツ床の型取りをしてテーピングをしたのが生後14日目。テーピングをしているとそれほどびっくりしないだろうと思えたので、親しい友人に少しずつお披露目をしていった。


次は、ついにFacebookを使ってホッツ床+鼻ステントが付いた状態の写真をアップ。形成外科や矯正歯科受診の継続的な受診の必要があることなどを説明しておいた。

ここまで来る頃には、知り合いに息子の写真を見せたり、直接会わせたりすることもあまり抵抗がなくなった。 一昨日も書いたが、私達が堂々としていれば問題はほとんどないのだ。ただ、口唇口蓋裂の子の親としての心構えができるまでに、それぞれの時間がかかるだけだ。

・・・



昨晩の体重は5.9kg。脱衣所での計量中に、「えっと・・・5.9kg? そんなに増える?」とか言ってるうちにオシッコを放出されて大騒ぎになった。

・・・

夕方、やっと日が落ちた頃に駅からアパートまで歩いていると、妻が息子を抱っこして迎えに来てくれた。特に理由はなくて「なんとなく」だそうだ。一年前の不妊治療中には、こんな日が来るとは想像できなかったなぁ。

明日は早朝(未明)からのシステム更新作業だ。その後医大附属病院、高校の3者面談とイベント目白押し。もう寝るぞ~。



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2013年6月19日水曜日

生後48日目 見た目を綺麗にする以上のこと

昨日のお風呂の後に着せた服は和風。

体重は5.1kg。手も足もよく動く。妻はお風呂に入れたことがないので、「この子の素裸はあんまり見たことがない」と言う。そんなはずはないのだが(^^;

・・・

本日の午前1時にご本人が口唇口蓋裂であったご婦人からコメントを頂いた。コメントには、ご両親には口唇口蓋裂であることを伝えられていなかったこと、一回だけ小学校の時に口のことで悪口を言われたこと、しかしご本人が「能天気」と仰るように、あまり傷つくことなく成長されたこと・・・が記されていた。

当ブログの性質上、現在妊娠中の方や子育て中の方からコメントを頂くことが多いが、今回のような当事者の方からのコメントは、妊婦や親としての立場とはまた違った角度から、口唇口蓋裂という疾患を見つめ直すきっかけとなる。

私達は子供を育てながら、口唇口蓋裂という疾患に常に向き合っている。ともすると手術を予定通り受けさせること、口や鼻の外見を綺麗にすること、構音/発音を上手にさせること・・・そればかりを追いかけてしまいがちだ。もちろん各々とても重要なことで、親は全力を尽くす。

ただ、障害があろうとなかろうと、親として最も重要なことは、「子供の心を育てる」ことではないだろうか。コメントのご婦人は「能天気」と仰っておられるが、少々のことには動じない安定した心というものは、ご両親をはじめとした周囲の方々が子供の「自尊感情」あるいは「自己肯定感」を大事に育ててこられたことの証左である。

「自尊感情」「自己肯定感」というのは昨日読んだ本からの受け売りだ。受け売りついでに引用しよう。
自尊感情が高い人とは、ちょっとやそっとバカにされただけでは揺らがない、強い自分を持っている人のことです。少々のことではくじけず、「自分ならできるはず」と、何事にも粘り強く取り組むことができます。自分を大切に思う気持ちが豊かな分、他人のことも同じように大切にすることもできます。自尊感情は、少々のことには動じず堂々と人生を歩んでいくうえで欠かせない、心の土台みたいなものだといえるでしょう。それさえあれば、どんな世の中だって渡り歩いていける、究極の無形財産です。「生きる力」の源泉です。-「忙しいビジネスマンのための3分間育児」より
息子には少なくとも、外見で人を馬鹿にするような小さな人間にはなってほしくないものだ。コメントにもあるように愛情たっぷりに、そして正しいベクトルで育てていきたい。

・・・

いつものように帰りの電車で妻にSMSを送ったら、娘がムカデに噛まれた(!)ので病院に来ていると返信。どうやら学校で噛まれたらしい。ジメジメしてくると出てくるからなぁ。脚の多い虫が心底苦手な娘だから、結構トラウマになったのではないのかなぁ。。。

・・・

帰ってきた娘は案外に平気そうだった。ムカデは小さくて痛みもあまりなかったので、普通に帰宅していたのだが、 妻が念のため連れていったらしい。

これが家で大きなムカデに噛まれていたら、おそらく今頃大騒ぎでバルサンでも焚いていたかもしれないな。




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2013年6月16日日曜日

生後45日目 まず子供ではなく奥さんを気遣うこと

昨晩は8時に眠たくてたまらなくなり、息子を風呂に入れないまま、「1時間だけ・・・」と言ってそのまま午前4時まで眠ってしまった。出産内祝いの発送手配や、手渡しするのにグルグル回って疲れていたのかもしれない。妻は私を気遣ってかリビングで息子と寝て授乳もしていたはずだが、私を起こすことはなかった。ありがとう。。。

・・・

昨日の内祝配りが終わったあと、車で15分の実家に寄って、検診の結果問題がなかったことを報告。私の母が授乳してくれたり、あやしてくれたり。「お義母さんが嬉しそうなのを見ると、なんだか『私、よくやった~』って感じ。。。生まれるまで色々大変だったけど、それもいい思い出」とは妻の言葉だ。稽留流産のあと、不妊治療に通っていることを私が口を滑らせて母に言ってしまったこともある。その場に妻もいて、母に見えないようにしながら少し涙ぐんでいた。・・・今ではそれも思い出の一つだが、あの時の私は気遣いが足りなかった。





・・・

仕事が終わって電車に乗るとき、いつも妻にSMSを送るようにしている。これは結婚してからずっと、ほぼ毎日送っている。息子が生まれて退院してからも勿論送っていたのだが、退院から10日くらいで、SMSの内容が息子の様子を聞くものばかりになっていることに気がついた。

もちろん妻は「元気だったよ~」とか「ちゃんとウンチ出ました!」などと返してくれるのだが、私から妻に送るメッセージはこれではいけないと思ったのだ。だから、電車に乗った時のSMSでは、「妻の」体調などを聞く、息子が生まれる前の内容に戻した。

乳児を子育て中のお母さんは丸一日子どもと向き合い、社会との繋がりが希薄になって孤立感を味わうことが多い。旦那さんとのコミュニケーションだけが、鬱憤のはけ口になることが多い。ならば、旦那さんは機会をとらえて奥さんが話しやすいきっかけや雰囲気を作るようにするべきだ。旦那さんが口を開けば子供のことばかりでは、奥さんの気持ちは爆発するか落ち込むかのどちらかになってしまう。中には旦那さんの気遣いがなくても関係なく元気な奥さんもあるかもしれないが・・・

・・・

ほぼ1日中雨だった昨日とはうってかわって、今日は最高気温が33~34度にまで上昇するらしい。妻と息子の調子にもよるが、どこかに美味しいものでも食べに行けたらいいな。



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2013年5月29日水曜日

生後27日目 父親または夫として

口唇口蓋裂の3箇月の娘さんを持つお父様に当ブログへのコメントを頂いた。3箇月といえば口唇裂の縫合手術の時期。何かとご苦労も多いと思う。

私の息子はまだ生後1箇月にもなっていない。大変なのはこれからなのだろうが、今までのところ、なぜかそれほど「しんどい」とか「辛い」とか感じないし、どちらかと言えば毎日起こることや息子の変化を楽しんでいる。妻も同様で、私が仕事中で居なくて息子が長時間泣きやまない時は困っているが、基本的には笑って過ごしている。

エコー検査で胎児が口唇口蓋裂と診断されたときには、さすがに息子が可哀想になったが、その他の異常が発見されなかったことの安心感のほうが大きかった。出産を経て、脳や心臓その他の臓器が全く正常に機能していることが嬉しかった。稽留流産(子宮内での胎児死亡)から始まる3年間の不妊治療や妻の悪阻を乗り越えて、生まれてきてくれたことだけで奇跡だと感じている。その上、脳も心臓も正常で手足も揃っている。ちょっと口に怪我しているだけだ。これ以上何を望むのか。

口唇口蓋裂を発見していただいてからは、出産後の忙しさを想定して定時帰りできるように仕事をする習慣をつけるようにした。私の仕事はシステムエンジニアで、少し前までは早朝から深夜、休日まで働いていて、定時帰りなど別世界の話だった。しかしそれでは疲れきってしまうし、妻の肉体的・精神的負担が大きすぎる。だから私がやらなくていい仕事はとことんやらないし、今日やらなくていい仕事は、可能な限り後回しにする(前倒しでやっても大概手戻りが発生する)。作業自動化など仕事の効率化も全て定時帰りのためだ。

出産後は会社に事情を説明して、恒常的に残業するような仕事を回さないようにお願いしている。そもそも、案件が発生したら8割くらいは私が工数見積をしているので、ヤバイ仕事は最初から取らないのだが。

定時退社したら最速で家に帰る。だいたい19時前には帰れてしまう。なるべく早く帰って妻を手伝い、彼女の話を聞く時間を作るのが重要だと思う(そこからブログネタを拾う、というのもある)。私は仕事で社会と関わっているが、彼女はほぼ自宅に居る。私と話をしていなければ、孤立感が増していくだろう。

お決まりだが、息子をお風呂に入れるのは私の役割だ。それから、テープの貼替えやホッツ床の脱着・洗浄も私がメインでやっている。私が家にいる時は授乳も出来るだけやる。時々娘も参加してくれる。そんな生活が楽しいと思う。

「そして父になる」という映画がカンヌ映画祭で賞をもらったそうだ。父親は子育てを通して本当の父親になり、我が子に育ててもらうのだ・・・そんなメッセージが込められているという。ならば私は、息子の口唇口蓋裂によって、より深く父親として育ててもらっているのだろう。


・・・


19時の授乳は私が行なって、ほぼ100cc飲んでくれた。写真ではわかりづらいが、鼻ステントが押し上げている部分がやや赤くなっている。これについては説明を受けていた。本人が嫌がっていないので大丈夫だろう。

・・・

風呂に入れた後で、ホッツ床を洗浄し、テープを全交換。その後22時の授乳も100cc全て飲んでくれた。最近体重を計れていないが、かなり重くなっているような気がする。

2013年5月19日日曜日

生後17日目 メッセージ:母から妻へ

私の住む地域では、内孫には出産祝いをしないのが常識だったが、核家族化が進み祖父母と同居することが少なくなって、少し包んだりすることもあるようだ。妻の体調もだいぶ良くなってきて、昨日はじめて息子を連れて三人で実家へ行ったのだが、私の母も息子の病気のことを心配したのか、何かと要るのだからと出産祝いを妻に手渡した。妻はひたすら恐縮していたが、いつになく譲らない母に押し切られて受け取った。

「巨大ネコの新入りチェックから孫を守る祖母」


私の両親は今は年金暮らし。自営業だったから国民年金で、生活に余裕があるわけではない。本来なら私がいくらか助けなくてはならないのに、実家に行けば毎回食品や料理を持たせてくれる。息子の誕生前、妻は時間があって体調が良ければ、平日に一人でも私の実家に行って母と話をしていたようだ。妻は自分の母親とあまり話したがらない分、私の母の心配をしているようなところがある。

・・・

私は母の34歳の時の子で、42年も前だから当時としては高齢出産の部類に入っていたかもしれない。父と一緒に牧場の仕事に汗を流し、私を妊娠中は悪阻もありながら臨月まで乳牛の世話をしていたという。

乳牛の牧場というのは過酷な仕事だ。今も全自動搾乳ロボットなんて導入しているのは日本国内でも片手で数えられるくらい。早朝から深夜まで肉体労働が続き、基本的に年中無休だ。ヘルパー制度を使えば冠婚葬祭で1~2日くらいは休めるが、私の両親はほとんど利用していなかった。

深夜午前0時から搾乳準備が始まったとすると、当時の我が家の規模で準備・搾乳・給餌・掃除が全て終わるのは午前3時。その上に子牛への哺乳などもある。まとまった睡眠時間はとれず、2~3時間程度を数回に分けて眠るのが普通。

そんな生活だったから、私と姉には家族でレジャーを楽しんだという記憶がほとんど無い。だが一度だけ、母に隣県の観光地の水族館へ日帰りで連れて行ってもらったのを覚えている。三人でイルカのショーを見たり、アイスクリームを買ってもらったり・・・。世の中にこんな楽しいことがあるのかと思ったが、その日帰り旅行の時間を作るために両親が短い睡眠時間をさらに削っていたことを知っていたので、もう一度とせがむようなことはできなかった。

私の祖母が認知症になると、介護のため母の時間は更に削られることになった。どうして他人の親にあれほど献身的になれたのか母に聞いてみたいと思うが、たぶん「それが当たり前だから」と返されるだろう。

その母が一度だけ、姉に対して烈火のように怒ったことがある。祖母の認知症が進み、小学生の姉に何か嫌なことを言ったのだと思うが、怒った姉は座っていた祖母の背中を泣きながらを軽く蹴ってしまった。この時の母の叱り様はそれまで見たこともないほど厳しいもので、母が姉を叩いたのはあれが最初で最後だったと思う。

その後祖母が徘徊を始め、冬の深夜に失踪して緊急捜索が行われるに至り、ついに老人ホームに入ることになったが、入所後毎日のようにホームに通い、祖母を最期まで看病したのも母である。

・・・

43年前、母が私の妊娠を祖母に伝えた時、当時の生活の苦しさから「二人目なんかいらんのに」と言われたらしい。そのことを母がポツリと呟いたのは、私が妻と結婚することを伝えて暫くしてからだった。その時の母の気持ちはどんなだっただろうか。今、祖母に対してどんな想いがあるのだろうか。

私と妻が結婚するとき、母が妻へ望んだことは、私の子供を産んでほしいということだけだった。ただ、母は妻にそう言ってしまったことで、妻にプレッシャーを与えてしまったと悔やんでいたかもしれない。 その後妻が妊娠を報告するまで、母はそのことを一切話題にしなかったのだ。

・・・

母から妻へのお祝いには短い手紙が入っていた。

幸せは、今ここにあり、苦は未来の宝。
明日を信じて、一女・一男に恵まれた。
”決して、甘やかしては、ならない”
そばにいて、やさしく、心のつえに、なってほしい

私の願いは、これだけ
一日も早く 元気になってね

帰宅して手紙を読んだ妻は、「ありがとう・・・」の後に言葉を続けられないまま泣いていた。

・・・


今日は出産から入院していた病院の看護師さんに、医大附属病院や矯正歯科での治療内容や今後の予定をフィードバックした。せっかく病院ヘ行ったので、正確に体重を計ってもらったところ3560gだった。1日あたり50gのペースで、これはちょっと増えすぎに近い。「飲みやすく、飲みやすく」と哺乳に注意を払った結果、どうやら十分以上に与えてしまったらしい。口の中の潰瘍も見てもらったが、状態は良くなっているとのこと。






ミルクをたくさん飲んでくれるのはとても嬉しいのだが、しばらくは少し間隔をあけて回数を1回減らしたほうがいいだろう。そこで入院時に付けていたような哺乳記録を付けて管理するようにした。ミルクの間隔が開くとお腹が減って泣くことが増える。潰瘍を気遣っておしゃぶりを与えていなかったのだが、看護師さんの意見では使って構わないということだったので、帰り道で購入して早速使っているところだ。